バニラ・スカイ

(2001年 / アメリカ)

美貌と富と才能を兼ね備えた出版会の若き実力者、デヴィッド。マンハッタンの豪邸に暮らし、ベッドには美しい金髪の女性歌手ジュリーがいる。誰もが羨むような毎日を過ごすデヴィッドが、ある日運命の女性ソフィアと出会ってしまう。

ナイスガイに嫉妬する男の末路

バニラ・スカイ

大学生の頃までは、女の子にモテる最大の要素は「ルックス」だと本気で考えていました。つまり、顔が俳優やアイドル並みに美形で、最低でも175センチ以上の長身であれば、それだけで女の子から憧れのまなざしを受けることができるものだと本気で思い込んでいました。OLが結婚相手に求めた条件を高学歴、高収入、高身長とした、いわゆる三高は、さすがに理想の範疇であると青年期の僕も理解していましたが、やはり「ルックス」のいい奴にはかなわない。そういう諦めというか、負い目をつねに感じながらの学生生活でした。なぜなら、僕は成長期にたいして背が伸びず同級生にどんどん追い抜かれ、心に宿す暗いもののせいで明るい表情すらつくることができなかったため、鏡の前に立つたびに重いため息をつく思春期を送っていました。

ルックスはそう簡単には変えられない。だったら、別の面を磨けばいい。ですが、運動は得意ではない、楽器のひとつもできない、絵は市のコンクールで賞を取りはしましたが実はほとんど興味がない。唯一学業だけは学年でもトップクラスでしたが、そうした栄光に浴せたのは中学までで、高校に入ると成績は中の下という取るに足らないレベルへと押し下げられてしまいました。ここで僕はますますフラストレーションを募らせていきます。ルックスがいいだけでなく、背が高く性格も社交的、それに加えて成績優秀という同級生が憎たらしくて(羨ましくて)、思春期の僕はそのまま自己嫌悪の時期でもありました。

この映画におけるトム・クルーズの役柄は、まさにそういった僕の嫉妬の対象となり得るに十分なナイスガイです。どの女性が見てもウットリするであろう甘いルックスに、大企業の跡取り息子というステイタスの高さ、マンハッタンの一等地に居を構えマスタングを駆るセレブな生活、社交的でパーティーではいつも主役で周囲に女の子の姿がないときはないというプレイボーイっぷり。ただ、彼は170センチとアメリカ人としては背が高いほうではないのですが、それでも僕より高い。唯一勝てそうなところも粉砕されたことで、だんだん腹が立ってきて観るのよそうかなと思い始めた頃、彼にとって決定的であり、僕にとってはニヤリとしたくなる出来事が起きます。

それが恋人が運転する車に同乗していた時に起きた交通事故でした。適当に付き合われていたことに恋人が逆上し、錯乱状態のまま車を猛スピードで走らせ、ついには橋の上から転落し、壁に激突するという大事故でした。恋人は死亡、トムは一命を取り留めましたがもはやかつての彼には戻れませんでした。顔の形がぐにゃぐにゃになってしまい、ナイスガイの面影すら見受けられなくなってしまったのです。天から二物以上のものを与えられてしまった不届き者は、結局こういった悲惨な運命に堕していくものだ。たとえ映画であっても大いにカタルシスを得た僕は、ようやくその時点でこの映画を見届けようと決めたのでした。

本当のことを言うと、映画の本質はモテない男を慰撫するために作られたものではまったくなく、醜い顔を隠すために仮面を付けた自分と、仮面を外しても本来の自由奔放でいられる自分との間を、冷凍保存という未来の手段で行き来する、やや重いストーリーの映画です。おそらく余程の映画通か洞察力・観察力の優れている人でない限り、一度観ただけでは理解できないでしょう。たとえイケメンでもそうでなくても、人間には個性と自主性があるわけだから、他人には決して譲れない内面というものが必ずあります。それを危険を犯してでも守るべきなのか、それとも冒険を避け自重すべきなのか。多くの人と接して自分自身のことをよく知っている人と、そうでない人とで、自分自身の守り方は変わってくるのではないかと思います。僕はどっちだろう。少なくとも前者ではないのですが、ただでさえ冴えないルックスをさらに毀損するような仕打ちにだけは絶対遭いたくないと思いました。


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