「僕の戦争」を探して

(2013年 / スペイン)

1966年、スペイン。ビートルズの歌詞を使って子供達に英語を教えるほど、ビートルズファンの英語教師、アントニオ。憧れのジョン・レノンが映画「ジョン・レノンの僕の戦争」の撮影で、アルメリアを訪れていることを知った彼は、愛車を走らせ、一人撮影現場へ向かう。

マニアが本当に求めているものとは

「ビートルズ」ってだけで、目を爛々と輝かせながら何時間も延々と語れたり、ゆかりのグッズに囲まれて生活をしていたり、カラオケで彼らの曲しか歌わないという人の話はよく耳にします。いわゆるマニアと呼ばれる人たちのことですが、そこに偏屈な信奉者、蒐集家といったニュアンスはほとんどなく、どことなく高尚な雰囲気すら感じてしまいます。ビートルズはポップミュージックという大衆的なジャンルのミュージシャンではあるのですが、ジャズの巨匠とかシャンソンの歌姫といったワンランク上の存在に思えますし、実際そうなのでしょう。こういう言い方しかできないのは、何を隠そう僕がビートルズをほぼ知らないからです。もちろん、彼らの代表曲のいくつかは知っていますが、まったく知らないに近いです。煎じ詰めれば、知らないというより関心がないです。これまで学生時代、社会人生活を通して、必ずビートルズマニアはいましたし、周りの人たいていもビートルズは知っていて「ビートルズは素晴らしい」で一致していました。そんな中で僕は生返事を返すだけでかわしつつ、アンソロジーとかCDを聴いて彼らを理解しようと思いましたが、結局マニアどころかファンになることすらできませんでした。

だから、僕はこの映画でフィーチャーされているビートルズについて語れませんし、映画で用いられていた(と思う)小ネタや薀蓄なんて見つけられたわけありません。でも、主人公のアントニオの心情はよく理解できます。ビートルズの歌詞を教材として使うほどビートルズに心酔している英語教師のアントニオは、ジョン・レノンが映画の撮影でスペインに来ていることを知って、居ても立ってもいられず車を走らせる。たぶんこういった熱情は誰でも感じたことがあると思います。好きなゲームの新作を買い求めるため朝早くから店の前に並んだとか、絶景からの日の出を見るために暗く寒い中を待ち続けたとか、強い魅力を感じている何かに対して、普段の自分からは信じられないくらい行動的になって、険しい道のりや厳しい自然環境、劣悪な交通機関さえ苦にならない。僕も何度かありますね。そういう経験。ま、言わないけど。そういう行動は突発的であったり計画的であったりしても両者に明確な違いは特になく、もう本能的に突き動かされてしまうわけですから理屈なんてないんです。アイドルの追っかけやアニメの聖地巡礼なんかも同じような類だと思います。

で、この映画ですが、たしかにアントニオの情熱に満ちた行動を軸に話が進んでいきます。でも、アントニオはそれほど強烈なビートルズ信者として描かれているわけでもなく、ジョンに会うためならと奇天烈な手段を講じるわけでもなく、ただの「ミーハー」な中年男性と見られても仕方のないキャラクター。ビートルズあるいはジョン・レノンを中心に観てしまうと、いまいちアントニオに感情移入できないです。で、アントニオは道中、世間に馴染めない若き女性ベレンと家出少年ファンホという道連れをつくって目的地を目指すのですが、別にビートルズ好きでもない2人が加わることで話の軸がまたずれていくのです。たしかに3人のやり取りや目的地である南スペインの片田舎の人たちとの接触は、ゆるい雰囲気で僕は好きだったのですが、「あれ? ビートルズは?」とふと思い出すくらいにビートルズ色が薄れていきます。で、これは僕の感想ですが、ベレンとファンホはもちろん、実はアントニオでさえ、今回の旅の目的は具体的なものではなかったのではないかと。ジョンに会うという明確すぎる目的を持っていたアントニオでさえ、本当の心は別のところにあってそれは本人も気づいていなかったではないか。たとえそうではなくても、ジョンに会うことを名目にして、心の底では別の癒やしを求めていたのではないかと。そうでなければ終盤でのアントニオの行動の説明がつきません。

もしそれが本当なら、ビートルマニアに限らず、世間一般に「マニア」と呼ばれる人たちというのは、心のどこかに癒やされるべきものを抱えながら生きている人たちのことなのかもしれません。


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