男たちの大和 / YAMATO

(2005年 / 日本)

2005年4月。鹿児島県の漁師・神尾はかつて戦艦大和の沈んだ地点まで一人の女性・内田真貴子を連れて行くことに。かつて大和の乗組員であった神尾は、およそ60年前の、あの戦争の日々を思い起こしていく……。

俺たちの大和

男たちの大和

1941年12月16日に就役し、翌2月12日に連合艦隊旗艦となった戦艦大和。大日本帝国海軍が誇るこの戦艦は、全長263m、排水量73,000トン(満載)、そして史上最大の46cm主砲3基9門を備えた桁外れの超弩級戦艦として世界にその名を轟かせていました。また、その艦名に日本そのものを意味する「大和」と名付けられたことからも、当時の日本人が大東亜戦争必勝をこの艦に託し、戦局打開の切り札としての期待を一心に受けていたことがうかがえます。では、その期待通り、大和は就役してから華々しい戦果をあげてきたのかといえばそういうこともなく、ミッドウェー海戦で初陣を迎えた後、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦しますが、いずれも対空戦闘であり航空機は撃墜したことは確かなものの肝心の敵艦を沈めたという確実な記録は残っていないそうです。よく言えば海軍兵士の士気を鼓舞する象徴的存在、悪く言えばウドの大木、でくのぼうで“大和ホテル”などと揶揄されていたというのもわからないではありません。

戦局はどんどん悪化し、米国艦隊はついに沖縄近海にまで迫ってきました。何としても米軍の沖縄上陸を阻止したい日本は、起死回生の作戦に打ってでます。菊水作戦です。作戦の要諦はとどのつまり「特攻」であり、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、特攻により海軍では2,045名、陸軍では1,022名の戦死者を出しました。そんな中、1945年4月5日、大和に海上特攻隊としての出撃命令が下りました。目的地は米軍が上陸を始めた沖縄。艦載機を一機も搭載せず、沖縄の海岸に乗り上げて砲台として米軍を迎え撃つという悲愴な指令が下ったのです。その沖縄に向かう途上、坊ノ岬沖にて米軍機の襲撃を受け、多数の爆弾や魚雷を浴び、4月7日午後2時23分、傾斜による弾薬庫の誘爆、あるいは機関部の水蒸気爆発と思われる爆発と共に海に没しました。戦死者2,740人に対し、生存者はたったの269人(276人という説も)だったとのことです。

おそらく日本人で大和のことを知らない人はいないでしょう。たとえ、どんなに歴史嫌いの人でもどんなに戦争アレルギーがある人でもどんなに平和を愛する市民である人でも、戦艦大和の存在とどんな最期を遂げたか、知らない人はいないはずです。そして、おそらく大和について、このような印象を持っていることと思います。「日本らしい」と。大艦巨砲主義の象徴的存在として建造されたものの、真珠湾攻撃、マレー沖海戦で海上戦闘では航空機が優位であることが明らかになり、その運用が持て余されがちになっていった大和。世界最大最強の看板を引っさげて太平洋で米艦隊を相手に大暴れするつもりだったのに、ようやく晴れ舞台が回ってきたかと思ったら、時間稼ぎのための標的として特攻するはめになってしまった。計画性だとか中長期的視野だとか先見の明だとかは日本人の不得手とするところで、追い詰められたら白刃を握りしめて雄叫びをあげながら突撃する。欧米ではこれを非合理的と言って笑うところですが、日本では桜の散り際になぞらえて「潔い」とします。大和の最期が潔いかどうかは別として、日本人の心情に訴えかける典型的な一幕であると思います。

そう言えば、ガンダムシリーズでは、敵方の軍勢は戦争の終盤になってくると戦局の打開を託して超大型モビルスーツ(あるいはモビルアーマー)を送り込んできます。いい場面で颯爽と登場してその圧倒的火力で数多くの量産型モビルスーツを撃墜するという戦果を挙げはするのですが、結局ニュータイプが駆るガンダムによってあえなく破壊されてしまいます。僕たち視聴者はその結末はわかっています。超巨大モビルスーツを投入したところで戦局に変化なく、一瞬だけ華々しく活躍して落とされてしまうということを。このあたり、僕たちが大和を見る目と同じ感情を抱くのではないでしょうか。満を持して登場した最後の切り札の末路を。ただ、ここで「あぁ、どうせダメだ」とネガティブに捉えるのではなく、僕たちには切り札(大和)が登場した理由がわかるのです。何のために十分な準備や武装もせず勝ち目のない戦地に赴くのか。それがわかるからこそ僕は、大和は日本人らしさを後世に伝えるために建造されて沈んだと考えてしまうのです。


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