ズーランダー

(2001年 / アメリカ)

男性ファッションモデル界のトップスター、デレク・ズーランダー。しかしある年、デレクはついに、モデル・オブ・ザ・イヤーでライバルのハンセルに敗れてしまう。そんな時、今をときめくファッション・デザイナーのムガトゥが新しいコレクションにデレクを使いたいと言い始める。しかしムガトゥには別の目的があった。

お笑いのセンスで傷つくのは人生の無駄

小学校の頃は「暗いやつ」と思われることは当時の人間関係において致命的な痛手でした。だから、なるべく明るいやつ、面白いやつと思われることに躍起になっていました。いえ、ほかの同級生が皆同じように思っていたわけではありません。というもの、普通の小学生として振る舞っていればよかったからで、小学生ならではの感性で面白いことは笑い、ふざけるべきところではふざけていればよかったからです。でも、それができなかったからこそ僕は悩んでしまったのです。クラス替えで自己紹介する時、好きなテレビ番組として、カトちゃんケンちゃんとかとんねるずなどのお笑い番組を無理して挙げていましたが、本心ではそんな番組面白いとも何とも思ってませんでした。それでも、皆が僕のことを面白いことが好きなやつと思ってくれればそれでいい。そのふりをするのは容易なことではなく、ここは笑うところなんだろうなというシーンを推測して(実際、僕はちっとも面白いと思っていない)、無理して馬鹿笑いするというのは本当にストレスが溜まることに気づいたのは、高校を卒業する頃だったでしょうか。

特に、何に対しても無関心だかとか、他人と同調することを拒む世捨て人体質だとか、逆に政治や時事ネタにしか関心がないとか、東大目指して勉強三昧の毎日だったとか、そういう子供ではありませんでした。誰が見ても、どこにでもいる特徴のない子供だったと自分でも思っています。ただ、友だちと群れて遊んでいるよりは、ひとりで本屋でマンガを立ち読みしたり家でファミコンをやっているのが好きだったことは事実。よく言えば小学生にして自分の世界を持っていたということでしょうが、本当のところ、他人に干渉されるのが嫌でそれでいて確固として自主性を持っていない、いまでいうニート体質がすでに芽生えていたと言えましょう。面白くないものを無理に面白がることはないのですが、何と言いますか、僕の場合、ただ単に感性の問題ではなく皆が面白いと思っていることを無意識のうちに拒絶していて、脳が勝手に「面白くない!」と思わせているような気がするのです。したがって、僕はいま人気のあるお笑い芸人のことなんてこれっぽっちも知らないし、トキメキすらしないのです。

さて、この映画に関してですが、こうした僕のことがよく理解できない人には面白いはずです。皮肉を言ってるとか嘲笑していることはまったくありませんが、僕がこの映画を少しも面白いと感じなかったということは、ほかの皆さん(一般的な向きとして)は面白く観られるのではと感じたまでです。ハチャメチャなストーリーで、おバカ映画の傑作で、セレブのカメオ出演多数という触れ込みに多少魅力は感じたのですが、正直言って観てるのが苦痛でした。もし小学生の頃の僕がこの映画を観たとしたら、皆ゲラゲラ笑っている中、口の周りの筋肉がおかしくなってしまうほど無理な引きつり笑いをしていたことでしょう。「暗いやつ」と思われても何とも思わない、いやむしろ個性だと割り切れるいまでは、もう絶対にできないことです。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください