天空の蜂
(2015年 / 日本)最新鋭の超巨大ヘリ“ビッグB”を遠隔操作したテロが発生。犯人の要求は“日本全土の原発の破棄”。ヘリ設計士と原発設計士が、日本消失の危機を止めるべく奔走する。
脱原発でいいのか
東日本大震災による福島第一原発事故がきっかけで、日本全国で「原発は危険」というイメージが固定し、各地で反原発運動が起こりました。「脱原発」とか「原発やめろ」とか書いたプラカードを掲げたりシュプレヒコールをあげながら繁華街を練り歩くデモ隊の様子が、よくテレビで報道されていたことを覚えています。この動きが盛り上がっていくにつれ各地の原発が停止に追いやられ、その結果、火力発電所が休眠だったものも含めてフル稼働状態となり、燃料費の増加分が3.4兆円にまで膨れ上がりました(2014年度)。しかし、反原発派はこうした国富の流出には関心がなく、もっぱら感情的、情緒的に原発廃止を訴えているわけです。原発は今回の事故以前から日本にあるのに、なぜ今回になってあれだけの一般人を巻き込んだムーブメントになったのかは不明ですが、それだけインパクトの大きかった事故だったことは確か。原発のない東京に住む僕も、なんとなく反原発派に流されそうになりました(すぐ修正しましたが)。こういう国民感情に多くの政治家が便乗して、選挙で脱原発を声高に訴えだしたのもこの頃でした。
「原発は危険」という根拠は、放射能災害の可能性があるからということで理由がつくでしょう。チェルノブイリ原発事故はもちろん、日本は世界で唯一原爆を落とされた国として放射能の恐ろしさは小さい頃から聞かされてきているので、もはや国民的トラウマと言っていいかもしれません。福島第一原発は地震と津波の影響で全電源喪失状態となり炉心溶融(メルトダウン)が発生し、1号機から3号機で原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満。これに対処するために行ったベント(排気操作)をはじめ、水素爆発、格納容器の破損などにより、大気中、土壌、海洋、地下水などへ放射性物質が放出されることになってしまいました。周辺では10万人以上の住民が避難をし、徐々に避難指示が解除されているものの、帰還困難区域ではいまだ立ち入りが原則禁止されているのが現状です。事情に疎い僕が言うのも何ですが、震災から5年もたって安全宣言を出せない現実が周辺住民ならびに国民の不安を高めることになり、原発止めちゃえばいいという短兵急な発想がまかり通ってしまっているのだと思います。
この映画は、テレビで福島第一原発の建屋の様子を食い入る様に見つめていた、東日本大震災当時を思い出すような作品でした。あのとき、僕はネットで配信されていたNHKの報道を通して水素爆発が起き白い煙をあげている建屋を見たときは、これでもう福島は、いや日本は壊滅するのではないかと絶望を噛み締めていました。現場では吉田昌郎所長以下、作業員が懸命に復旧にあたっていたのに、菅直人首相は「俺が行くまで何もするな」と横槍を入れてきたともいいます(この事実を知ったのは後日ですが)。東京でも感じる大きな余震と、耳にするだけで怖ろしい緊急地震速報が鳴り響く中、僕だけでなく日本中の誰もが抗し得ない無力感に打ちひしがれていたと思います。原子炉が破壊され放射性物質が大気中に放出されようとしている瞬間。文字で書けば世界共通の恐怖であることに違いありませんが、僕らはその瞬間の恐怖を身をもって体験している。それはたとえテレビで見ていた人も、原発で従事していた人も、現地で避難をしていた人も、自分の国が消えようとしている絶望感は分かち合っていたはずです。
「原発は危険」。これは間違いないです。では「脱原発」。これは当然の筋でしょうか。何でもかんでも危ないものは排除してしまえばいいという発想は、人間の進化における退廃を生みます。電力に限ってみれば、火力発電は大火災を引き起こす危険があるし、水力発電は大洪水を招く危険がある。少し前、尖閣諸島がらみで中国が日本へのレアメタルの輸出規制をしたとき、日本はレアアースを使わずに製品を作る技術や廃棄された製品からレアアースを回収する技術などを確立して危機を乗り越えました。これを脱原発に当てはめると、レアメタルが揉め事の原因ならレアメタルは使用しないとして結果的に日本の国力低下を招来することになっていたでしょう。原発が危険なら、危険でない原発を作ればいい。幼稚な発想かもしれませんが、これが大事です。原子力の恐怖を二度もDNAに叩き込まれた日本人なら、世界に率先してできると僕は信じています。