きっと、うまくいく

(2009年 / インド)

超難関理系大学・ICEに通うランチョー、ファルハーン、ラジューの“3バカトリオ”が巻き起こす珍騒動と、行方不明となったランチョーを探す10年後の彼らの姿を同時進行で描く。

君ならうまくいく

「大丈夫大丈夫」「いいからいいから」「とりあえずやっとけって」。こういうのは励ましでも慰めでもなんでもなく、根拠のない煽りだったり冷やかしだったりすることがほとんどで、これらをよく口にするのはたいてい自主性のない未成熟な人に決まっています。言われたこちらとしては「はいはい」と話半分で受け流しておけばそれで済むわけですが、何かに真剣に迷っている時だと腹が立つのを通り越して、憎しみさえ感じることもあります。自分が真面目に取り組んでいることを適当に扱われ、たいして重要でないとあしらわれたと同じで、まるで人間性そのものをいい加減に見られていると感じるからです。実際、悩んでいることが客観的にはたいしたことではないとしても、当人にとっては大問題であり人生の壁でもあります。それは肩をポンポン叩かれながら半笑いで諭されて解決することではありません。そう言えば、僕が中学の頃にこういう奴がいました。何でもかんでも「だいじょぶだぁ」と、志村けんのダジャレ口調で流そうとする奴が。その時、僕はこう思いました。「こいつは友だちではない」と。

もちろん、同じセリフでも言うべき人が言うことで、その受け取られ方が正反対となることは往々にしてあり得ます。たとえば、上に挙げた「大丈夫大丈夫」とかだって、社会的立場の高い人やカリスマ的指導者など、信頼の置ける人、尊敬できる人が言うことによって、たとえ気休めだとわかっていたとしてもずいぶんと心が落ち着くものです。それに、「なんとかなるって!」という最強の妥協文句も、そういう人に言ってもらうことで本当に何とかなりそうな気にさせてもらえたりするものです。ただ、信頼の置ける人、尊敬できる人というのは、何も両親や恩師、社長、有名文化人などに限ったものではなく、もっと身近にいる同世代の人だって当てはまるはず。それが「友だち」というものでしょう。そりゃもちろん、悪ふざけのノリで煽ることもあるでしょうが、やはりここ一番のところで、気落ちしていたらそっと肩に手を当てて共感を与えてくれる、そんな人こそ「友だち」と言い得るのではと思います。

この映画はまさにそうした友だち3人組が織りなすストーリー。友だちと言っても熱い友情で結ばれた汗と涙の物語というより、悪ふざけのフィーリングが合って結束したトリオとしたほうが正しく、事あるごとに居丈高な態度を取って立ち塞がる学長に対し、あれやこれやのイタズラでやり返していきます。しかし、イタズラに明け暮れながらも彼らの友情は固く結ばれていき、誰かがピンチに陥った時には我が身のことのように共に悩み、怒り、悲しみ、そして泣く。解決してあげたからお金をもらえるとか、大学での評価が上がるとかそんなことはなく、むしろ3人とも連座で大目玉を食らうことになるのですが、彼らにとっては平気の平左で笑って受け流している。そんな彼らの友情は大学を卒業してからも色褪せることはなく、「あいつのためなら」離陸した飛行機を引き返すことも、ズボンを履かないで外に飛び出すことも厭わない。そこから始まる旧友探しのストーリーは、彼らの大学時代の悪友そのままでした。

今回初めてインドの映画を観ましたが、事前知識として得ていた派手な踊りときらびやかな歌という印象こそそのものでしたが、二転三転、いや四転五転以上もする練り上げられたストーリー展開に加え、本当にどこにでもいそうな“3バカトリオ”があまりにも自然な演技だったので、まるで僕自身が彼らの第4の悪友になったかのような錯覚を覚えつつ画面に釘付けにされてしまいました。また、インドの自殺者数が世界一であるという現実も初めて知ったことながら、階級社会や貧富の差など、解消されない社会問題に警鐘を鳴らしつつ制作したんだろうなということも痛いくらい伝わってきました。ただ、歌って踊って楽しければいいという純粋な映像劇の枠を越えた、メッセージ性の強い作品としても秀逸だったと思います。かなり尺が長いのが僕としては気にかかるところだけれども、この作品をきっかけに他のインド映画も観てみたいと思うようになりました。そして、「大丈夫大丈夫」「いいからいいから」「とりあえずやっとけって」。こういうセリフをごく自然に言ってあげられるような人格を築き上げたいとも感じました。


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