ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~

(2016年 / フランス)

待ちに待った夏休み! コックス一家は“未来のシステム”搭載の新車で、バカンスへと旅立った。ところが、出発してまもなく自慢のシステムがあっさり故障、車は時速160キロでハイウェイを大暴走!

本音を語りたいなら暴走車へ

「実家のような安心感」という言葉によく接します。主にネットの書き込みからですが、都会での一人暮らしや会社の人間関係、微妙な恋人関係などから解放され、晴れて後腐れなく変な気遣いをすることなく、リラックスして過ごすことのできる状態のことです。ネットでは、人気の動画を指していうことが多いようですが、リアルな環境においては、本当の実家ではないけれども、生まれ育った、よく見慣れた、心開ける人間関係が存在する場所というものは、誰もが持っていそうで持っていないものではないでしょうか。もちろん、親からの虐待や死別など実家という場所を、悲惨で思い出したくもない場所として記憶している方もいることでしょう。なので、「実家」という言葉に付帯するイメージは人それぞれですが、ここでは「安心感」の類語として捉えたいと思います。

そもそも、安心とは何でしょうか。概念として「不安・苦痛が少ない」「楽観的志向である」「自分を肯定している」「対人関係の確かさがある」ことが挙げられています。簡単に言ってしまえば、心が軽い状態、脅威となるものがない状態ということでしょうか。この安心感は乳幼児期に形成されると言われ、この時期の親子関係の良し悪しがその後の気持ちの持ち方に大きく影響してくるようです。ただ、その後の人生の家庭でのリカバリーは可能で、上司から褒められた、尊敬する人から認められた、目標にしていたことを実現できたなど、自己肯定感を実感することで達成できるといいます。なので、「実家にいると同じくらいの安心感」は、後付けで設定できるのです。

では、実際に実家にいる(もしくは実感と同等の環境にいる)として、そこにいる人たちに何の気兼ねなく本音をぶつけることはできますか。対象となるのは、実の両親、兄弟姉妹、親友などになるかと思いますが、100%できるかと聞かれると口ごもってしまうかもしれません。「実は俺…」という切り出す内容は、たとえ実家でも相当ためらうはず。思いついて反射的に打ち明けることはできず、かなりの思慮が必要になり、場合によっては言い出すことができず胸のうちにしまっておくなんてこともあるでしょう。誰にだって隠し通したいことはあるわけですから。

ですが、実家でも言えないことをズバズバ言ってしまえる環境、それがこの映画で描かれています。お正月やお盆で帰省した時には味わえない、安心と対極の環境。それが一大危機というシチュエーションです。暴走を始めてブレーキの効かなくなった自動車、その中にいる一家はもう頭の中が真っ白になって、自宅にいる時のような呑気なことは言っていられなくなり、死と隣り合わせの状況の中で思いついたことを矢継ぎ早にまくし立てます。「俺、実はこんなことしてた」「私、実は下の階の男性と…」「わし、以前あんなことを…」。どうせ死ぬのだから、もうこれで最後だから、という思いが高まって、一切のしがらみを廃した混じり気のない本音が飛び交います。暴走車という狭い空間に詰め込まれた実家のあり方が一変してしまったのです。

押して引く、という手法はマーケティングでもよく用いられますが、本音を引き出すには「実家のような安心感」では物足りない場面もありそうです。


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