ラン・ローラ・ラン

(1998年 / ドイツ)

裏金の運び屋である恋人マニからの突然の電話。「ローラ、助けてくれ! ボスの10万マルクを失くした。12時までに金を作らないと、殺される・・・」残された時間は20分。大好きなマニが死ぬなんて考えられない・・・お金を工面するためローラは走り出す。

可能性は無限だが時間は有限

いつだったか、会社で受けた健康診断がきっかけでランニングを始めたことがあります。当時は、バランスの取れた食事をとったり定期的に運動をすることもなかったので、腹が出っ張ってきたなという自覚はあったのですが、「肥満」と診断されたことにはさすがに面食らいました。そういえば、これまで何の気なしに履けていたズボンが、しゃがみ込むと腹部や太ももあたりに窮屈を感じるようになったり、長年の定番だったお気に入りのシャツをついに断念せざるを得なくなったり、それとなく「痩せなきゃな」とは思っていたのですが、その思いが切実となった瞬間でした。最寄りの病院で再検査を受け、直接健康に影響はないとのお墨付きはもらったのですが、ご飯や麺類などの糖分の高いものはできるだけ抑える、適度な運動をするなど、偏った生活を正すよう指摘されました。

食事を変えたことで効果はすぐに現れました。ご飯は大好きなので断腸の思いだったのですが控えることとし、主に野菜や焼き魚を取るように変更。僕は朝食はチョコレート、昼食はコーヒーとお菓子と、食事らしい食事はほとんど取らない反面、夕食をガッツリ取るほうで、スーパーで半額になった肉類や揚げ物をおかずに、ご飯とカップラーメンで満腹に浸る毎日。考えて見ればこれで肥満にならないはずがないのですが、そんな毎日を送っていても標準体型を維持できてこれたのは体質のおかげだったのかもしれませんし、それが崩れたのは年をとったからとも言えるでしょう。ともかく、それを改めたことで、腹の出っ張りはみるみる凹んでいきました。肥満宣告されて購入した体重計にも、その結果が数値となって現れていました。なんだ、こんな簡単なことだったのか。会社の人からも「痩せましたね」と言われるようになり、その効果は自己満足的なものでなかったことも僕を喜ばせました。

いや、でもそれだけではなかったはず。僕は食餌療法と同時にランニングを始めたのです。自宅から大通り沿いに周辺をぐるっと回る、たかだか2、3キロではありましたが、僕の体型改善に大きな効果をもたらしたと思っています。はじめは時折立ち止まって休憩を挟まなくてはならない状態でしたが、次第にコースを完走できるようになり、ペースも尻上がりに上がっていきました。ただ、食事と運動、どちらが実感として効果があったかと聞かれると、食事のほうだったかもしれません。言ってしまえば、野菜主体の食事に変えただけで標準体型に戻すことができたと結論づけることができると思います。なにしろ、ランニングは寒くなってくるにつれ、やめてしまったにもかかわらず、リバウンドすることはなかったのですから。

では、ランニングは別にやらなくてもよかったのかというとそうは思っていません。毎日同じコースを回っているだけと言うと、何の代わり映えもない退屈な運動のように聞こえるかもしれませんが、実際は風景こそ同じでも、その道程が同じ日は一日たりとありませんでした。いつもすれ違う会社帰りのサラリーマンの表情が違う、いつもは犬を連れて散歩しているおじさんのに今日はひとり、いつも空き地の隅から僕に睨んでいる黒猫につがいができた、いつもは無言で僕を見過ごしていたパトロール中の警察官から「がんばれ」と声をかけられた、なんていう実に小さな体験が、同じ時間に同じコースを走っている中で多々ありました。まぁ、当たり前といえば当たり前ですが、ランニングを続けていくにつれて、肉体改造するという目的は次第に忘れていって、そういう見慣れた風景のちょっとした違いに出会いに行くことが楽しみになっていったということは間違いではありません。

この映画を評価するにあたっては、特に深い含蓄や洞察を用いる必要はないと考えます。「一度発生した現象はもう2度と発現しない」ことを感覚的にわかっていれば、たとえ毎日通る同じ道にだって、幾パターンかのドラマが潜んでいることに容易に気づくはず。それはわざわざ脇道に逸れて新しいルートを模索せずとも、「いつもの」ルートで発生しうることです。サラリーマンの表情、おじさんが犬を連れてるかどうか、黒猫の視線、警察官からの励ましなどの変化は、おそらくルートを変えてしまったら気づかなかったことでしょう。だから、この映画は当たり前を描写しているに過ぎません。3本立てのオムニバス形式で進行していきますが、それぞれが連動しているのではなく、独立したドラマを描き、それぞれのラストを迎えている。可能性を示しているだけ。一度ヨーイドンしたら取り消せないのと同じで、人生だって(時間的に)やり直せないのですから。

蛇足ですが、僕がもしランニングを続けていたら、いつか黒猫に引っ掻かれるという最悪のシナリオが用意されていたかもしれません。


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