扉をたたく人

(2008年 / アメリカ)

愛する妻に先立たれ、全てに心を閉ざし、無気力な毎日を送っている大学教授のウォルター。ある日、ニューヨークで移民青年タレクと予期せぬ出会いを果たす。ミュージシャンである彼にジャンベを習い始め、二人の友情が深まっていくなか、突然、タレクが不法滞在を理由に拘束されてしまう。

太鼓のリズムとは人生の鼓動

ニューヨークに観光で行った数日間、地下鉄の構内で楽器を演奏している人をよく見かけました。ニューヨークの地下鉄では、ホームや構内での演奏を希望するミュージシャンはまずオーディションを受ける必要があり、それに合格した人が演奏場所を押さえることができるとのことで、タイムズスクエアなどの大きな駅でオーディションを通過したと思われるレベルの高いバンドによく遭遇しました。地下鉄利用客も彼らの演奏を歓迎しているようで、大勢の人が立ち止まって演奏に聞き入り拍手を送っていました。ただ、その一方で、明らかに当局の許可を得ず楽器を演奏していると思われる人を見かけたのも事実(違法ではないようですが)です。

中でも印象に残っているのが、プロレスラーのような巨漢の黒人男性が叩いていた、これまた巨大な太鼓でした。アフリカかアラブの民族楽器のようにも思われましたが、とにかく彼の奏でるビートが激しく攻撃的だったので鮮明に記憶に残っています。おそらく即興だったとは思いますが、それでも彼の放つリズムは一定かつ秩序だっていて、耳や胸に直接殴りかかってくるような音色だったにもかかわらず、僕は体全体で感じる心地よさに包まれていました。彼の太鼓を聴いていたのは、駅のホームで次の列車を待っている数分の間に過ぎませんでしたが、まるで暴風雨の只中に放り込まれたような強烈なインパクトをもって僕の脳裏に刻み込まれたのです。

太鼓に限らず、音楽には心理面にさまざまな効用があり、特に喜怒哀楽をはっきりさせる情動への影響が強いとのこと。特に、喜と楽を含む「快」の情動はコミュニティー能力の発達に役立つことが明らかにされています。したがって、バンドや楽団、合唱団など、集団で紡ぎだす音楽からは「チームワーク」という指向性が強く意識され、また発達障害や自閉症の子供たちにも音楽を用いた支援は有用とのことです。日本人だったら、お祭りの和太鼓の音色を聞くと無性に気分が高揚してくることからも、太鼓に代表されるリズミカルな音色というのは耳で楽しみつつ、心も癒やされているのだということがわかります。これはもちろん日本人だけの特質なのではなく、世界のどの文明地域にも太鼓という楽器が存在しているように、世界じゅうに住む人すべてに共通の感情なのでしょう。

この映画の主人公ウォルターもそんな太鼓の魅力に目覚めたひとり。ひょんなことからシリア人男性タレクとセネガル人女性ゼイナブのカップルと出会い、彼らが持っていたジャンベという太鼓のことを知ります。ウォルターは行き場のない彼らと生活を共にしながら、ジャンベの叩き方を学び、次第にその魅力に取り憑かれていきます。しかし、タレクが不法滞在のかどで連行されてしまい、ゼイナブも家を出て、ウォルターはひとりになってしまいます。ウォルターはピアニストの妻を亡くし、もともと孤独だったのですが再び孤独に。そんなウォルターでしたが、ジャンベに没頭しているうち、最初は寂しさを紛らすためだったのが、いつしか新たな出会いを生むきっかけを掴むことになるのです。

地味とはいいませんが、派手さのないとても静かな作品です。そんな中で、タレクやウォルターが一心不乱に叩くジャンベの音色がとても躍動感に溢れ、鮮明な印象を持って伝わってきます。それは彼らの人生、つまり妻を亡くし友人もいない高齢男性、不法滞在という危険な綱渡りをしながら生きている移民(法に触れることは許されないことですがそれはさておきます)という、満たされず明日をも知れない日々を浮き彫りにしつつも、「生きている」証を示してくれます。観終わってからも、ウォルターが叩くジャンベの音色がいつまでも胸に残りました。新しい人生の扉をノックするのは、魂の鼓動。この直感こそが扉を開くための力なんだと思いました。


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