パリ20区、僕たちのクラス

(2008年 / フランス)

パリ20区の中学校で教鞭を執る国語教師・フランソワ。母国語も出身国も異なる24人の生徒を受け持つが、彼らは反抗的な態度を取るばかり。フランソワは、生徒たちとの何気ない対話の一つ一つが授業と考え、どの生徒にも真正面から向き合うあまり、彼らの未成熟さに苛立ち、悩み、葛藤する・・・。

母国語を伝えていくことの重責

フランス語にはやはり憧れます。なぜそう思うかという確固とした理由はありません。しいて言えば、フランス語を話せる、あるいは理解があるというだけで教養人とか文化人を連想してしまうからでしょうか。外国語として習得しなければならないのはもちろん英語ですが、「英語話せます」と言うとちゃんと勉強してきた人とか仕事できる人という印象を持ちますが、「フランス語できます」だと芸術家とかロマンチストが真っ先にイメージとして浮かんできて、無条件で尊敬してしまいます。尊敬というのは大げさかもしれませんが、とにかく「フランス語」という響きからは格式高いと思わせる何かあります。これはもう僕個人の思い込みとか偏見の問題だとわかってはいるのですが。

たとえば、フランス料理店にフランス語の名前をつけたり、ちょっと小洒落たブティック(そもそもブティック自体フランス語で「小さな店」の意味)にフランス語の名前をつけるのはわかるのですが、それ以外のフランスとはまったく関係のない店舗や商品の名前にもフランス語が用いられていることがよくあります。高級感やオシャレ、もしくは唯一性を出したいがために、フランス語辞典から引き出した単語をそのまま使っているのでしょうけど、響きだけを聞くと店や商品の内容はどうであれ、たしかに安物には思えない重みやファッション性が感じられます。その名前が付いている商品を持っているだけで、自らも格式が高くなったような錯覚を感じるほどに。ちなみに、大手お菓子メーカーのブルボンはもともと北日本製菓商会という社名でしたが、その社名の当時は売上がぱっとしなかったものの、フランスのブルボン朝にちなんだ社名に変更したところ売上がアップしたそうです。どうやら、フランス語から風格、品格などの面でグレードの高さを感じるのは僕だけではないようです。

とはいえ、フランス語を習得しようとはいままで思ったことありませんでした。大学の第2外国語を選ぶ際も真っ先にフランス語は外しましたし、その後アジア圏の言語に興味を持つにつれてフランス語を学ぼうという考えすら浮かばなくなりました。なぜ憧れを感じながらトライしてみようと思わなかったのは、習得の難しさ、特に文法と発音の難解さによるところ大です。フランス語学習経験者からも「難しすぎる」「あれは言語じゃない」などというため息混じりの声を聞いていたこともあり、僕もすっかり忌避するようになってしまいました。憧れは憧れのままで、むやみやたらと手を伸ばして足場を踏み外すことはしたくない、という言い訳を自分に言い聞かせつつ。

さて、この映画の主人公フランソワは、人種も言語もバラバラな生徒たちが集まるパリ20区の中学校で教える国語教師。単語の意味や文法、動詞変化、助詞の使い方に至るまで、生徒たちが話す「美しくない」フランス語を矯正していきます。日本人の感覚からすると、中学生にもなって言葉の話し方を勉強するなんて奇異に感じられますが、さまざまな出自を持つ彼ら生徒たちにとっては必要なこと。そのためフランソワの教室では、生徒たちのフランス語に対して、フランソワが文法の誤りを指摘したり綴りの間違いを正したり自己紹介文の宿題を出したり、まるで日本の駅前留学のような授業を展開しているのです。ただ、生徒たちは素直かつ真面目に授業を受けているわけではなく、やじが飛んだりおしゃべりを止めなかったりフランソワを困らせることを言ったり、学級崩壊寸前の様相を呈しています。

そんな生徒たちに初めは閉口していたフランソワでしたが、次第に真摯に向き合うようになります。時には生意気盛りの生徒たちに対し苛立ちを露わにすることもありましたが、彼はそんな彼らに対してもきちんとしたフランス語を教えようとしていました。それぞれ出自の異なる生徒たちがフランスで職を得、安定した生活をしていくには、当然のこととしてフランス語が普通に話せることが求められます。もしかしたら単に国語教師としての責務やプライドからだったのかもしれませんが、彼は本能的にそのことを理解していたはずです。それに、彼らを通して間違ったフランス語が蔓延して、本来のきれいなフランス語が失われてしまうという危惧も抱いていたはずです。現在、フランスで社会問題と化している移民政策を描きつつも、どんな人にも美しいままのフランス語を継承させていこうというフランソワの母国語への愛が伝わってくる作品でした。

いま、日本には英語やフランス語をはじめ、あちこちに外国語教室がありますが、外国人講師の中には観光ついでに短期アルバイトしているだけだったりバックパッカーで来日して旅費の足しにするためだけという人もいるようです。言語の教育にそれほど熱心とは思えず、お金を出している僕らとしてはあまりいい気がしません。いまはもう時間的に外国語を一から始めることは容易ではないですが、フランソワの情熱を感じているうちに、僕もこれを最後にフランス語に挑戦してみようかと思うようになりました。1ヶ月前に買ってそのままにしてあるフランス語の参考書。閉じたままの憧れをちょっと開いてみようか。


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