4分間のピアニスト
(2006年 / ドイツ)無実の罪で囚われた天才ピアニスト・ジェニーと、残りの人生を賭けて彼女を指導する老ピアノ教師・クリューガーとの激しくも暖かい魂のぶつかり合いを描く。
音楽に命を吹き込む芸術家とは
ピアノはずっと憧れの楽器でした。中学になってから音楽という趣味に目覚め、初めはクラシック音楽を聴いているだけだったのですが、音楽熱が高じてくるにつれ次第に自分でも何か楽器を演奏してみたいという思いを抱くようになり、ピアノに注目するようになりました。なぜピアノだったかというと特に確固とした理由はないのですが、交響曲でよく使用されるヴァイオリンやビオラなどの弦楽器はイメージ的に高嶺の花だとか敷居の高さがあって食指が伸びなかった一方、その点ピアノは自宅にはなかったけど身近にある楽器という意味で親近感があったからという漠然とした動機にすぎません。それでも、近所を歩いている時に民家から漏れてくるピアノの音色を耳にしたり、音楽に疎遠に見えた友だちが単音で簡単な曲を弾いているのを見たりすると、「もしかしたら僕でも」という淡い見立てを持ったのは事実です。
楽器を弾けるようになりたい、それもピアノを弾けるようになりたいという思いが強くなっていったのですが、どんなにピアノをねだったところで、家にそんな余裕はありません(スペース的にも金銭的にも)。それでも諦めきれなかった僕は、お年玉を集めて2万円くらいのキーボードを買いました。キーボードと言っても、ロックバンドがよく使っているシンセサイザーみたいな本格的なものではなく、学校の机を少しはみ出るくらいの廉価版。それでも僕にとって初めて自分の意思で手に入れた楽器でした。ただ、YAMAHA製品だったので品質こそ問題はありませんでしたが、いかんせん弾き方がわからない。たしか、買った当時は受験真っ只中だったので(いま考えたらなぜそんな大事な時期に買ったのか疑問)、じっくり独習をすすめることができず指で鍵盤を押して音が出るのを確かめるくらいしかできませんでしたが、やはり自分だけの音を独占できる喜びは何物にも代えがたいものでした。
その後、キーボードを練習することはしなくなってしまいました。受験終了後、通信講座のキーボード入門を購入して練習した記憶はありますが、高校に入学するとパタリとやめてしまい、キーボードはいつしか押し入れの奥へとしまわれ二度と日の目を見ることはなくなりました。生来の飽きっぽさが第一の原因ですが、音楽の興味が楽器中心のクラシック音楽からボーカル中心のJ-POPへと移ったことも大きな要因です。それからは音楽をするというとカラオケボックスに行くということを意味するようになり、もう楽器を演奏することなど頭の片隅にも浮かばなくなりました(実はその一年後に音楽系の部活に入り、ある楽器を演奏することになるのですが)。
こうして僕のキーボードライフはあっけなく終わってしまいましたが、心境や環境の変化だけが原因でなく、もうひとつ原因があったことを付け加えておきます。それは、キーボードを買って初めて自分の部屋で触った瞬間に気づいたことでもあります。初心者用の譜面を見ながらひと通りなぞり終えた後、確信とも言えるひらめきがありました。これは僕には無理だ、弾きこなせるようにはならないだろう、ということ。いや、練習していけばそれなりの技術は身に付くし曲がりなりにも人に聞かせるくらいの演奏はできるようになるでしょう。ですが、それは結局、印刷された譜面をなぞるだけのことで、僕自身の音楽ではない。つまり、芸術としての音楽とはいえない。それを悟った瞬間、僕のピアノ(キーボード)熱は一気に冷めました。別に深く考えず普通に1曲か2曲レパートリー持っとけば特技になるだろうに、という話なのですが、当時から達観しているところのある僕にはこの悟りは強烈で抗いようのないものでした。音楽はコピーではなく芸術。バンドミュージックでなく、クラシック音楽から入った僕には、もしかしたら当然の発想だったのかもしれません。
この映画を観て、その当時の僕自身を思い出しました。音楽はコピーではなく芸術。バロック期の高名な作曲家が遺した超難曲をいとも軽々と弾きこなす。どんなに卓越した技術を持つ演奏家でもできるものではなく、ほんの一部の「天才」と呼ばれる人たちだけに許された喜び。だけど、その演奏すらコピーとあざ笑って独創を加えさらなる高みの芸術として昇華させ、天賦の才による神の調べさえも翻弄してしまう存在がある。その存在を天使と呼ぶか悪魔と呼ぶかは自由ですが、ひとりの人間であることを忘れてはいけません。ただ、他の人と違うところは、人間であることの証である「感情」を音楽に吹き込み、音楽に命を吹き込むことができるところ。そして、その生を受けた音楽を、それを聴いた人と対話をさせることができる人。往々にしてそれは獣のように横暴で挑発的。譜面という殻を破って飛び出た感情の津波は、聴いた人をすべてに襲いかかり、その心を鷲掴みにしてしまうのです。到底、この域に達することはできまい。僕がそう悟ったのもごく自然なことだったと思います。
いままた、この歳になってまた何か楽器をやりろうかと思い始めています。もちろん、何かを始めることに期限はないのでいくつになったって新しいことを始めていいわけですが、さすがに創作意欲を剥き出しにした音楽熱というものはないです。譜面に沿って教則本通りの音が出せればいい。鉄は熱いうちに打てと言いますが、その「熱いうち」とは単純に思い立ったその瞬間だとは必ずしも言い切れないようです。