チキンとプラム~あるバイオリン弾き、最後の夢~

(2011年 / フランス・ドイツ・ベルギー)

大事なバイオリンを失い、死ぬことを決めた天才音楽家が最期の8日間に振り返ったこれまでの人生を、現実と空想を交えながらファンタジックに綴る。

いい死に方をするための自問自答をせよ

チキンとプラム

ふと「あれ、自分って何なんだろう」って思って立ち止まることがよくあります。別に、前後不覚に陥ったとか正体を失ったとか、そんな大げさなことではないのですが(ま、それに近いですが)、自分が何という名前でどんな人生を送ってきてどんな家族構成をしているのかが瞬間的に頭から消え失せてしまうことがあります。そういうのはたいてい一時的な現象で、ほんの少しだけ時間をおけば「何だったんだ、いまの」という感じに元通りになるのですが、頭のなかが空っぽになっている瞬間は本当に何もかもを忘れてしまっている状態です。それで必死に自分自身のことを探しだそうとするので、全神経がそのことに集中してしまい、財布をすられたり携帯を奪われたりしてもまったく気づかないか、気づいていたとしても無抵抗でいることでしょう。精神分析学で、自己の主体性を失うことを「自己喪失」と呼ぶそうですが、難しい概念はさておき、まさにこの自分自身が何であるかを喪失した状態というのが頻繁に起こるのです。

原因は聞くまでもなくわかっています。自己喪失の定義の前提となる「自己の主体性」の存在が僕には希薄だということ。要するに、僕は自分自身が何者であるかという確固としたアイデンティティを持っていないということです。まだ自分探しの途上だからと言えば格好がつくのでしょうが、いい歳をした身の上でそれは言い訳にもならず、単に自己逃避とか責任回避と受け取られるでしょう。しかし、それでも僕は「自分のことはよくわからない」と答え続けるしかない。引きこもりがちで対人関係の中で揉まれることを拒んできたため自分の立ち位置をうまく推し量ることができず、正しいことと信じて無理やり「自分探し」をしようとすればするほど、それこそ前後不覚に陥ったり正体を失ってしまいます。だから、ふと「あれ、自分って何なんだろう」って思うのは、胸の底に押し込めたはずの自分探しの責務を思い起こさせようとするシグナルであり、それに対して回答を得ることのできない僕は為す術もなく立ちすくむことしかできないのです。

この映画の主人公ナセル・アリも、僕のように「自分って何なんだろう」と自問自答を繰り返すも明確な答えを出せず苦しんできた人だったと思います。自分のことを完璧にわかる人間などいないという意見はもっともですが、そもそも「自分って何なんだろう」と考えること自体、自らの人生にコンプレックスを持っていて、自らの主体性について自信を持てない人なんだと思います。かつては有名な音楽家で美人の恋人もいた彼ですが、いまは彼の業績を知るものはなく好きでもない女性との結婚生活を送る毎日。そんな中、妻と喧嘩した際、大切な商売道具のバイオリンを壊されてしまい、彼は死ぬことにしました。死ぬまでの8日間、彼は自分の人生とは何だったのかを振り返ります。

彼は答えを導き出すことはできたのでしょうか。そして、答えを導き出せたとして、彼は幸福になれたのでしょうか。死ぬことすなわち人生の終着点に至り、もし自らの人生が夢物語だったことが初めてわかったとしたら、つまり「自分は何者でもなかった」ということがわかったとしたら。果たしてその人はどんな思いで死ぬことになるのだろう。「あれ、自分って何なんだろう」。この無意識の問いかけは、僕自身がどのような往生を遂げるのかを左右する重要な命題なのではないかと、ふと思いました。


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