SMOKE

(1995年 / アメリカ、日本、ドイツ)

ブルックリンのとある煙草屋に集まる人々の日常を、過去と現在、嘘と真実を巧みに交差させながら描く。

ブルックリン的日記の書き方

smoke

大学生の頃、日記を付けていました。日記と言っても、毎日欠かさずその日あったことを記述していくスタイルではなく、特別思うことがあったり、書き留めておきたいことがあった時に綴るという程度だったので、本来の意味での日記ではなかったのかもしれません。でも、当時(いまでも)かなり内向的で疑心暗鬼に苛まれ続けていた僕にとって、書き殴ってはどんどん増えていくノートの数が慰めのように思えていたことは事実。初めこそ、1日にあったことを淡々と書き連ねていたのですが、次第に自分の内面の発露が多くなり、ある時を境にほぼすべて何かに対する怒りや苛立ち、恐怖といった感情の爆発をぶつけるようになっていました。日記を付けていたのは大学時代の数年間だけだったのですが、社会人となり折を見ては開いてみると、驚くほど攻撃的であったり絶望に打ちひしがれていたりする記述に、改めて当時を省みたり感情的にいまと変わっていないなと感慨深くなり、その都度一気に読んでしまったものです。いまでは紛失してしまったことが残念でなりません。

日記なので、その日の記述の前後との相関関係はほとんどありません。つまり、前日書いてあったことと当日、そして翌日の記述とつながっているかといったら、まったくそんなことはありません。しかも、起承転結すら無視した書き方となっているので1話完結とも言えません。ただ、気に入らないこと、腹が立ったこと、将来への不安などが、脈絡なく綴られているだけ。気分屋の僕らしく、その日の感情によって字体がバラバラで、なんとか読める程度に書き殴られていたり、憤激のあまり鉛筆の芯が折れた跡がある箇所、それとは逆に平穏そのものの丁寧な書体などなど、ひと目でその日の心情が読み取れたのは面白かったです。ともあれ、修学旅行の記録みたいに今日はどこどこ行って明日はどこそこに行く、というスタイルではないのでこうなるのは当然といえば当然ですが、こういうのだって日記と呼んでいいのではないでしょうか。ドラマに登場して事件解決のカギとなる、妙に詳細な日記なんて、脚本家が作った都合のいい小道具にすぎないと思います。

この映画の舞台であるニューヨークのブルックリンは、観光で訪れたことがあります。訪れたと言っても、ただブルックリン橋を徒歩で渡るための目的でちょっとその周辺を散歩した程度なのですが、観光客だらけのマンハッタンとは違う空気を明確に感じました。観光客向けのパフォーマンスも見かけなければ、ツアーバスなんて1台も見ない。マンハッタンが東京なら、ブルックリンは千葉や埼玉だという例えを聞いたことがありますが、僕が得た印象としては、いい意味でのローカル色でした。おそらくここでは、ブロードウェイや五番街あたりのセレブとは一線を画した、ごくごく普通のアメリカ的な生活が営まれているんだろう。脈絡なんてない、いや脈絡なんて気にしなくていい、そんなごく普通の人間が住んでいるんだろう。きらびやかなネオンサインや豪華なリムジンに関心を持っていかれることなく、素の自分自身に怒り喜び泣く生活が繰り広げているのだろう。まるで僕が付けていた日記のように。

他の人のレビューを読むと、ラストで語られるクリスマスのエピソードが珠玉だと評価されているケースが多いですけど、僕にはあの話がすごく蛇足に思えました。この映画は、派手なアクションもなく大どんでん返しもなく痛快な謎解きもない作品で、淡々とした群像模様が描かれていくのですが、それでも飽きることなく観終えられたのは、そこにれっきとしたブルックリンの人間が描かれていたからだと思います。脈絡がないようで関連している、反発し合っているようでつながり合っている。僕としてはその雰囲気を堪能できただけで終わってよかったのですが、それだけにクリスマスの話が取ってつけたようで違和感がありました。僕が日記を付けていた頃、あまりに絶望しきっていた自分自身にせめてもの慰めとして、根拠もなく「未来はきっと良くなる」という、その萌芽すら見あたらない小さな希望を願った記述をよくしていました。それに似ているような気がしてならないのです。


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