フローズン・タイム

(2006年 / イギリス)

恋人にフラれたショックで不眠症になってしまった美大生のベン。スーパーマーケットで深夜バイトを始めた彼は、2週間も不眠が続き…。

アートかエロかはあなた次第

中学生や高校生だったら、好意を抱いた異性に対して、言葉を交わしてみたいとか手を握ってみたいとか思いを募らせるのは当たり前のこと。思春期ってやつです。第二次性徴による生殖器の発達で性ホルモンが分泌され、性的欲求が促されることで、異性への関心が爆発的に向上します。この時期は自我という「もうひとりの自分」と出会い、「人間とはひとりなんだ」という孤独を知るようになります。この孤独を知るという心の変化こそが、自分の気持ちを誰かに添わせるような相手を求めるようになるため、反射的に欲望の対象である異性に目が向いていくのです。だから、この時期の少年少女は特に不安定です。ちょっとしたことでも、すぐ心に深い傷を負ってしまったり、反動で暴力的になってしてしまいます。大人になっても中学生がするような言動をして周囲を困らせるのは、たいていこの思春期において満たされなかったストレスを継続して持ち続けている人とのこと。ストレスがコンプレックスを生み、コンプレックスがまたストレスを生むという悪循環を断ち切ることができないでいるのです。

とまぁ、難しい話はこれまでにして、若いうちは、特に男性に顕著ですが、好きになった異性との肉体的接触を無意識のうちに求めるものです。シェークスピアの恋愛劇みたいなプラトニックな男女関係なんて眼中になく、少しでも気になる異性と出会ったら条件反射的に自分とのロマンスを思い描きます。初めてのデートはここに行ってここで食事して、親しくなったら夏は海に行って冬はスキーに行って、そして最終的に夜景の見える公園や高層ビルの上で愛を告白するなんていうドラマを創作してしまうもの(個人差はありますが)。こんな歯の浮くようなラブストーリーは、最近の恋愛ドラマではもう取り上げもしないでしょうが、若い頃の恋愛観は誰もこんな感じです。逆に、トレンディードラマこそ斜め上を行っているのです。さらに、高校生ならまだ可愛いほうですが、大学生ともなると急激に欲求のボルテージが上がります。サークルなんて恋人探しの場にほかならないし、ちょっとつるむ仲間ができると即座に合コンのセッティングがなされ、大学祭ではナンパの嵐。いけないなんて言っていません。むしろ健全です。言い方はよくないですが、欲求のはけ口を探して転げ回るのが青春ですから。

では、学生時代(あるいは20代前半くらいまで)に、ほとばしる欲求をうまく処理できないで鬱積させてしまうとどうなるのでしょうか。きっと、この映画と同じような心理現象が起こるはずです。すごく気になるけど声をかけられない。初めは誰でもこうです。そこから勇気を出して声をかけに行く人と、自分の胸の中だけでその人との情事を紡ぎ出していく人とに分かれます。問題なのは後者。彼は、時間を止めて彼女の髪に触れ手を握り、そっと両腕の中に包み込みます。しばらく動かない彼女を愛撫した後、ゆっくりと服を脱がせ、性行為に及びだします。現実的に考えれば、彼が部屋のトイレかどこかでマスターベーションしている最中の妄想というわけですが(そういう描写はありませんが)、この映画のワンシーンではその妄想を具現化しています。アーティスティックだとかロマンポルノだとか見方はいろいろあるでしょうが、失恋して失意の主人公ベンが満たされない欲求をどう処理するかというと言えば、ああいう形になるわけです。美しい女性を裸にして、自分の思い通りにしたい。たとえ妄想でも鼻息を荒らげない男性がいますでしょうか。

人によって見方が分かれるとは言いましたが、妄想シーンの主人公に身を入れてしまう僕自身はやはり、若い頃の宿題を数多くやり残しているんだなと改めて感じました。


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