クロッシング

(2008年 / 韓国)

貧しいながらも妻と息子と共に幸せに暮らすキム・ヨンス。しかしある日、妻が肺結核で倒れてしまう。薬を手に入れるため、ヨンスは中国との国境を越えるが…。

脱北者の人生を見せ物にしてはいけない

「脱北者」とは、定義のうえでは北朝鮮の政治体制や生活環境を苦にして同国を脱出する人のことで、その動機は政治的な理由での亡命から生活苦による国外への逃亡へと変質しているとのことです。亡命ルートはというと、38度線(韓国との軍事境界線)は衛兵や高圧電線、地雷原に阻まれているため主流ではなく、中国との国境を流れる豆満江を渡り延辺朝鮮族自治州の朝鮮族に匿われるケースが多いとされています。首尾よく中国に“入国”できたとしても、中国は脱北者を難民とは認めておらず、発見次第不法入国者として北朝鮮に送還する協定を両国で結んでいるため、脱北者は中国内では潜伏生活を送ることになります。摘発され北朝鮮に送り返されると、初犯の場合は労働や思想改造などの処置を受け、再犯では死刑となる場合もあるとのことです。

時宜を得た脱北者の一部は、韓国などから支援があったり、各国大使館や外国人学校などに逃げ込んで助けを求め、その多くが韓国へと亡命します。ただ、無事に韓国へ亡命できたとしても、なかなかうまく韓国社会へ溶け込むことは難しいのが実情とのこと。差別や就職・生活難に苦しむ脱北者が増加し社会問題と化しており、経済的困難や韓国生活への不適応で自殺した脱北者は少なくありません。さらには、韓国に定住していた脱北者が再び第三国や北朝鮮に向かうケースもあり、北に逆戻りした住民が韓国での生活を「生き地獄」だったと非難するという現実もあるようです。あるテレビ局が行った世論調査で、脱北者の33%が「北朝鮮が処罰しないなら帰りたい」と答えたというデータからしても、問題は相当深刻であることがうかがえます。

行くも留まるも地獄。だとすれば、北朝鮮に生まれた、ごく普通の一般人は何に幸福を見出だせば良いのでしょうか。毎日貧しい食事で飢えをしのぎ、家庭では火を使う料理もできず、電気と水道が利用できるのは1日に数時間程度。寒い冬にはお湯も暖房もなく、子供を公立の学校に通わせたい場合は建材を学費に変えて捻出し、肉体労働に精を出す必要がある。国内の治水や農地の整備もできておらず、台風等の自然災害により餓死者が出ることは当たり前。他国からの食糧援助は役人や軍の幹部が物資を独占し闇市場へ横流するため一般市民には届かない。こんな非人道的にも程がある国家(と言えるのか疑問ですが)において、唯一の心の拠り所となるのが「家族」ではないでしょうか。粗末な具材ながらも愛する人と分かち合う食事、密輸の酒を肴に気のおけない親戚縁者との語らい、そして、何も替えられない可愛い子供の成長。それすら奪われてしまったとしたら、北朝鮮の一般市民は、いや人間は人間らしい生活を続けていくことができるでしょうか。「こんな現実があるとは知らなかった」なんて、同情にもならない世迷い言をほざいている日本人には永遠にわからないでしょう。

僕は北朝鮮のすぐ近くにまで行ったことがあります。中国大連にて語学留学していたとき、丹東という街に週末旅行したときのことです。丹東は鴨緑江という川を隔てて北朝鮮と国境を接している街。そこそこ大きな街で、朝鮮族が多いためそこらかしこに朝鮮料理店があったことを思い出します。そんな中、鴨緑江に架かる中朝友誼橋という観光スポットを見物しに行った僕。そこからすぐ先に北朝鮮が見えるのですが、小型ボートでもっと近くまで行けるとのことでチャーターしてみました。殺伐とした風景の中、点在する旧式の建物、ハリボテの観覧車、「我らが太陽、金正日将軍万歳!(たぶんそんな意味)」という赤い横断幕。対岸の中国側にそびえる超高層ビルや高速で突っ走る高級車といった近代的な光景とはまったく対照的です。荒涼とした風景に飽きた頃、北朝鮮側の岸で数人の現地人がこちらを見ているのに気づきました。薄汚れたみすぼらしい服装に、垢だらけの浅黒い顔。一般に連想する典型的な北朝鮮の農民でした。そんな彼らが笑顔で僕に手を振ってきました。

手を振り返した僕でしたが、何か釈然としない思いだけが残りました。彼らは純粋に外国からの訪問者である僕を歓迎していたのか。そうではなく、本当は脱北するためのツテを探していて、藁をもつかむ思いで豊かな国から来た僕と何らかの縁を取り付けようとしたのか。北朝鮮の印象を良くするため、観光客には笑顔で手を振れと当局からなけなしのカネで雇われただけだったのか。そのどちらでもなかったと思いたいですが、すべてが国策、というか金一族の独裁体制で動いている国だけに、一般市民に外国人に愛想を振りまくなんていう余裕があるはずがないと僕は思い込んでしまっているのです。日々強制的に労働に駆り出され、ろくに栄養を取ることすらままならない生活の中で、笑う余裕すら微塵もないというのが一般的なイメージだと思います。「将軍様、万歳!」と心から称えているのは平壌の裕福な市民だけで、地方の労働者は思想教育で洗脳されて言わされているだけだとも聞きました。

いつだったか、韓国人の友人に、北朝鮮のことをどう思うか聞いてみたことがあります。そのとき彼女は「かわいそう」と言って軽く笑いました。おそらく、これが、僕を含めた比較的裕福な生活をしている人たちの率直な意見だと思います。所詮、対岸の火事です。北朝鮮に近づこうと思い立ったのは旅の記念にしようと思っただけです。チャーターした小型ボートを降りた僕は、近代的な中国の街に戻ってホッとしたことをいまでも覚えています。どうすれば、北朝鮮の一般人が救われるのかは正直わかりません。金体制が崩壊すれば良くなるとそっけなく答えたところで、そんなはずはないとも自問します。無関心でいないこと、としか言えません。日本だって、いつあのようにならないとも限らないのです。日本やアメリカ、欧州だけが世界だと思わず、むごたらしい現実も直視し「明日は我が身」を徹底して認識しなければ、次に絶望のどん底に落とし込まれるのは自分自身だと自覚したいものです。


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