ドリフト 神がサーフする場所(ところ)

(2012年 / オーストラリア)

自宅のガレージから始めたサーフショップを世界的一流ブランドにまで成長させた兄弟の絆を描くサーフムービー。

夢と野望は似ているようで違う

大学一年生の頃、僕はサーファーでした。すみません。言い過ぎました。正確には、丘サーファーです。ボードの上に立って波のうねりを捕えて華麗に滑走する、なんてことは一度もできず、ただボードに腹這いになってパドリングで波に向かっていくも、結局立ち上がることすらできず、一度も波に乗ることのできなかったサーファーでした。大学のキャンパスが湘南の近くだったこともあり、夏前から友だちと2人で海岸通のサーフショップにて、ボードレンタルとレッスンの契約して授業の合間を縫って通っていました。2人とも授業がない水曜日に行っていたのですが、昼過ぎの穏やかな海で、あまり熱心とは言えないレッスンが何回か続くと、次第に毎週の湘南通いが億劫になりだし、後期の授業が始まる頃にはパタリと行かなくなってしまいました。その間、やったことと言ったらひたすらパドリング。基本中の基本ではあるのですが、僕の壊滅的な運動神経ではそれ以上は無理と悟りました。ボディボードにしてたらもっと長続きしてたかもしれませんが(当時はいまほど普及してませんでした)。

ではなぜサーファーを志そうと思ったのか。理由は単純かつ幼稚です。僕の好きなミュージシャンにTUBEというグループがあるのですが、ご存知の通り彼らは湘南がホームグラウンドで、歌の中でサーファーが何度も登場します。モテモテのサーファー、夕暮れ時ひとりで黙々と滑走するサーファー、下手くそで笑われながらも奮起するサーファー。歌われるそれら一人ひとりのサーファーに「青春の縮図」を見出した、当時かなり若かった僕は、友だちからの誘いに二つ返事で了解したわけです。やる気満々の僕に対し、友だちは初めから気持ち半分だったしショップの兄ちゃんも冷めてたし、同世代のサーファー仲間もできなかったしで、結局尻切れとんぼ。長袖の季節になるともうすっかりサーフィンのことは忘れてしまいました。とどのつまり、そういうことです。サーフィンあるいはサーファーになるということは、僕にとって「虚飾」に過ぎなかった。もちろん努力すればある程度のテクニックが身についていたかもしれない。でも、一度冷めてそれっきりにしてしまうと完全に氷結凝固して二度と表には出てこない。人生は取捨選択の連続だとは言うけど、拾うか捨てるかの境界線は、夢として残しておくべきかどうかの判断という気がします。自分の意志の弱さを棚に上げるつもりはないけどね。

大人になって真価が問われるのはまさにこの決断力にかかっているのですが、その決断ひとつ下すのに、社会でいろいろな失敗や後悔を繰り返してようやく磨きに磨かれた決断を捻出することができる。いまの学生がそんな苦労を重ねてきているはずがなく、だからこそ新入社員として入った会社での立ち居振舞いにまず混乱します。上司の指示がわからないからです。新しい環境なので当然と言えば当然ですが、上司の言ってることがまるで宇宙語でもあるかのように理解できない。なぜなら学生は余計なことばかり知っているからです。だから残すべきところだけ残し極限まで無駄を省いた言葉を聞き取ることができない。いや、言葉として認識できてはいます。無駄な脂肪分からしゃぶり始めていくスタイルに慣れきってきた若者には、いきなり骨髄を差し出されても、それが何なのか何を意味するのかすら忖度すらできないのです。

じゃあ、サーフィンを捨てた僕は、その決断力を評価され人間として一段高みに据えられるのか。されません。取捨選択の連続である人生、拾うか捨てるかの境界線は、その物事を極限まで知り尽くしてこそ見出せるものです。そのうえで、このままマスターして自分のものとするか、はたまた夢としてそっとしておくこととするのかの判別ができるようになるのです。さすがに極限までとは言わずとも、ある程度の努力の後、見えてくることだってあります。つまり、勝ちどき、引き際を見事に成し遂げられる人のことです。取り掛かりは威勢がよかったけど尻すぼみで終わった僕にサーフィンを云々語る資格はありません。さて、ではこの映画の登場人物たちはどうだったのでしょう。


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