スパイダーマン

(2002年 / アメリカ)

大学の研究所を見学中のピーターは、遺伝子組み換えのクモに刺され超能力を身に付ける。

ヒーロの資格とは

ヒーローとはなんだろうと考えてみました。真っ先に思いついたのが、弱きを助け強きを挫く、いわゆる勧善懲悪を地で行く存在。圧倒的な腕力で相手をねじ伏せるタイプや、やんごとなき権威で相手をひざまずかせるタイプなどいろいろあるでしょうが、とにかく、弱い立場にある人たちを守る立場にある、あるいはそういう行動をつねに心がけている人だとして間違いではいないでしょう。ストレートに言ってしまえば、ヒーローとは悪を根絶する正義の味方。絶対無敵で完全無欠、清廉潔白で純一無雑、規律正しく曲がったことが大嫌い、情に篤く涙もろい、なんていうスペックを持ち合わせた人のことこそをヒーローというのだと、小さい頃に夢中になって観た仮面ライダーやウルトラマンや戦隊もののテレビシリーズで僕らは教えこまれてきたはずですから。

ピンチの時だけやって来て見せ場をかっさらっていくのでは決してなく、我が身を顧みず巨大な悪と戦い続けるのがヒーロー。子供向けヒーロー譚の第一義的な大骨格がこれです。では、ヒーローの創作者もそうしたコンセプトを信じこんで子供たちに夢を与える仕事をしているのか。作者は子供ではないのである程度割りきって創作に励んではいるでしょうけど、アンパンマンの作者やなせたかし氏の切り口はこうです。「正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること」とヒーローの条件を規定しながらも、「怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです」「本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろう」といった具合に、ヒーローに怪力や超絶兵器を用いて悪を蹴散らす意味合いを与えていません。むしろ戦いを回避しようとする人こそをヒーローと位置づけています。

さらに、悪役であるばいきんまんについては、「ばいきんまんは人間社会に必要なのです。無菌状態ではかえって危ない」と語り、ばいきんまんは絶対的な悪役ではなく人間と共生するうえで必要な存在としているところに興味を引かれます。そのうえで、「バイキンを死滅させると人間も絶滅する。うまい具合にバランスがとれてるのがいいわけです。だからアンパンマン対ばいきんまんの闘いは、バランスを保ちながら永遠に続いていくことになります」と、ばいきんまんを世界政治の勢力均衡に見立てて存在意義を強調。最後に、「強いからヒーローなんじゃない。喜ばせるからヒーローなんだ」と、ヒーローとは力あるいは権力の象徴ではないとしています。僕はアンパンマンのことを、アンパンチで汚いばいきんまんを追っ払ってくれる正義の味方としか見ていませんでしたが、そうした視点は子供ならではのものだったようです。

さて、この映画のモチーフになっている「クモ」。彼らはヒーローになり得る存在でしょうか。クモですよ。害虫じゃないんですか。姿形もオドロオドロしいし、ごく一部の嗜好家を除いてはクモを忌避する人がほとんどではないでしょうか。クモの巣が顔にかかったら悲鳴を上げるほど気持ち悪いし。でも、クモは姿は致し方ないとして、そのすべてが害虫というわけではありません。日本に従来からいるようクモの多くは害虫を食べる益虫です。ゴキブリの天敵であるアシダカグモ、ハエやガを餌としているジョロウグモ、ハエ専門のハエトリグモなどがそうです。もちろん毒グモは害虫ですが、人間が気づかないところで人間がクモ以上に嫌う虫をせっせと駆除してくれているのです。「強いからヒーローなんじゃない。喜ばせるからヒーローなんだ」。こういうクモだって十分に人間を喜ばせていると思いませんか。

映画で描かれているスパイダーマンも、能力こそ人間以上ですが、その正体は常人よりも弱いメンタルを持ったひとりの少年。やなせ氏はこうも言っています。「正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない」。スパイダーマンになっても傷つくことを避け続けてきた少年。恐怖との葛藤を克服したとき初めて、彼はヒーローへの第一歩を踏み出すのです。


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