屋根裏部屋のマリアたち

(2010年 / フランス)

メイドが辞めたことで家中が混沌となってしまい困ったジャン=ルイ夫婦。新たに異国のメイドを雇うことになり、その働きぶりにジャン=ルイは親しみを寄せていくのだが…。

メイドという文化への視線

メイドとは、個人宅にて清掃、洗濯、炊事などの家庭内労働を行う女性の使用人のこと。もともとは結婚前に奉公に出された若い女性のことだったらしいですが、現在では未婚や既婚に関わらずあくまでも職種を意味するとのことです。その家庭内労働における立ち位置に歴史的経緯があり、古代ローマでは奴隷と明らかな被差別的職種であり、中世においては使用人、また近世以降は家事使用人と、微妙にニュアンスを変えながらも少しずつ酷使や虐待を含まない労働条件に変わっていきました。ただ、メイドとしての仕事に大きな変化があったわけではありません。英国ヴィクトリア朝時代では、産業革命により資本家と労働者階級が発生するにつれ、メイドとしての女性が大量に雇用され、主人を選ぶ自由はあったようですが、主人と対等な人格を認められることはなく、全面的な服従を求められたそうです。また、メイド服でおなじみの、黒いワンピースに白いエプロン、フリルの付いたカチューシャは、貴婦人と連れだって歩くときに目立たないよう、女主人とメイドを明確に区別するためのものだったとのことです。

このメイドの業務範囲ですが、広義の家庭内労働から、それぞれの専門分野に分けることができ、大きく上級使用人(アッパー・サーヴァント)と下級使用人(ロワー・サーヴァント)に区別されます。まず上級の代表格が「家政婦」。女性使用人のトップで、女主人の代理として家政を管理し、敬意を払って独身でも「ミセス」と呼ばれました。主に、パンやジャム、紅茶など飲み物の調理・管理、食料の購入と貯蔵庫の管理、女主人のスケジュール管理、部下の教育などを担当。次に、「料理人」は厨房のトップで、家政婦の指揮下には入らず、独自に台所女中を指導。女主人がメニューに口を挟めず、言いなりになることもあったそうです。「侍女」はひたすら女主人に仕え、着替え、身支度、整髪などを担い、時には話し相手にもなりました。そして「乳母」。主な仕事は子供の世話ですが、当時は母乳をやると胸の形が崩れると信じられていたので、生まれたばかりの赤ん坊には乳母の母乳を吸わせました。したがって、子供は実の母(女主人)より乳母になつくケースが多かったようです。

下級使用人。その筆頭が「家女中」で、午前はピンクや灰色のプリント地のドレスで掃除をし、午後は黒とフリルのついた白いエプロン姿で接客や給仕をします。いわゆるメイド服を着ているのが彼女たちで、寝室や居間、客間、玄関の掃除、ベッドメイキングなどが担当です。執事や従僕のいない屋敷で彼らと同じ仕事をするメイドが「客間女中」。接客、給仕、銀器磨きと管理、客間や居間の整頓、手紙の仕分けが担当。「台所女中」は料理人のもとで働くメイドで、一日中、薄暗く暑い厨房にこもって仕事をしていました。かなり過酷な労働のため、長続きしない少女も多かったといいます。最後に、「雑役女中」はその名称から想像できる通り、家事のほとんどできない未経験のメイドで、主に裕福でない中流階級の家庭に雇われていました。

この映画に出てくるメイドたちはどれに当たるのでしょうか。舞台が1960年代のパリのアパルトマンなので、大勢のメイドを抱える大邸宅のそれではなく、各家庭にひとりずつ配置されているという感じなので、一から十までの家事をこなしていたわけではなく、主人から命じられた家事のみを担当していたと言えるでしょう。現代の香港や台湾などではフィリピンやインドネシアからのメイドを雇っている家庭が多いように、本作での主役はスペインからの出稼ぎメイドたち。それゆえメイドたちの結束は強く、週末に公園に集まって主人の悪口などを言い合う様子は、香港やシンガポールなどでも同じく見られるそうです。いまほど人権がうるさくない時代だったので、主人とメイドとの関係は服従というニュアンスの濃い主従関係が残っていたのでしょう。特に、女主人がメイドに接する態度がそれをよく表していました。

さて、日本では「メイド」と言うと「萌え」の対象。本作を楽しむ視点はさまざまですが、、日本人なりの見方で鑑賞しても十分楽しめます。これが世界共通なのかはさておき。


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