PARIS

(2008年 / フランス)

病に冒されたピエール、弟を案じて同居を始めるシングルマザーのエリーズ。パッチワークのように紡ぎだされ、クロスするパリジャン・パリジェンヌたちの日々。この街は今日も全てを受け入れ、包み込みながら静かに時を刻んでいく…。

憧れても憧れきれない街パリ

本屋にふらっと入って所在なく旅行書のコーナーに行き着くと、無意識のうちに手が伸びているのが「フランス」のガイドブックです。フランス、それもパリについて記述された箇所は気がついたら熱心に眺めていて、観光地や街の様子をとらえた写真をじっと見つめていたり、種類のあるバゲットやチーズを見比べたり、東京からの飛行時間や各地への交通を調べたりしてしまっています。ところで、僕はパリには行ったことありません。なので、特に地縁もないし身近に感られる環境にもいないはずなのに、世界の各都市の中でパリだけは別物として認識しています。別に、他の都市が見劣りするとか、魅力に乏しいと言っているのではなく、なんとなく僕の中でパリという街に幻想にも似たイメージを持っていて、それがほかと比べて圧倒的に強いというだけです。そうしたイメージを抱くに至ったきっかけについて明確に思い出すことはできませんが、ただ僕以外の誰でも、フランス、特にパリは高級感があり街が洗練されていて道行く人も格調高いというイメージをおぼろげにでも持っていることと思います。その源泉というのは、きっとテレビや雑誌だと思うのですが、おそらくこうしたフランスのイメージをメディアで流している映像制作者や編集者もなぜ「パリは高尚で瀟洒な街」なのかの答えは出せないことでしょう。

もちろん、そうは言っても、パリは美しいだけの街ではなく、貧民窟や殺人が頻繁に起こる治安の悪いエリアだって当然あるはずです。それでも、そうした暗部さえかすれてしまうほど、「パリ」という響きが持つエレガンスは圧倒的なものがあり、耳にしただけでうっとりとしてしまう甘美な誘惑にとらわれてしまいます。だから、パリに行けさえすれば、たとえ何か嫌なことが起きても、街ゆくパリっ子に「Bonjour!」と笑顔で会釈されるだけですぐに気分が晴れる。パリに行きさえすれば、くよくよ悩んでいたことでさえも、バゲット屋の看板娘に「Ça va?」と微笑みかけられるだけでたちまち肩の荷が下りて気持ちが楽になる。そして、パリに行きさえすれば、これからの人生について塞いでいたことでさえ、「Je t’adore!(大好き!)」で新しい可能性を感じ生きる意欲がぐんぐん湧いてくる。そんな夢のようなことがパリでは何でもないことのように起き、パリに滞在している人たちはその奇跡のような日常を何でもないことのように享受しながら生活している。だから、絶対にあり得ないと思える恋愛だって、奇跡でも何でもないことのように転がっているのです。

ただ、これは完全に僕の思い込みです。パリには他の都市と同じように、悲しい涙や辛い別れ、身を引き裂かれるような死だって当然のこととして存在します。騙しや裏切り、差別とか、人間の醜い面があらわになることだってそうです。でも、それでも僕にとってのパリは何もかもが憧れです。こう言うと、きっと世間知らずと後ろ指さされそうですが、こう思っているうちが華だと僕自身割り切っているので特に気にはしません。そうでなかったら、この映画を楽しむことはできなかったでしょう。それにしても、僕はいつの日かパリに行くことになるのでしょうか。憧れを確かめにパリに飛ぶ日は来るのでしょうか。夢や幻想が壊れるから憧れには手を付けないという人もいるでしょう。しかし、僕は逆です。映像や紙面でしか見たことのないパリを肌で感じ、憧れに立体的な奥行きをあたえて現実から逃げ込めやすくする空間として完成させたい。僕のパリへの憧れはまだまだ道半ばなのですから。


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