マンマ・ミーア!

(2008年 / アメリカ)

エーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、シングルマザーの母ドナに育てられたソフィ。彼女のひそかな願いは、まだ見ぬ父親とバージンロードを歩くこと。結婚式を控え、父親探しをすることに決めたソフィは、内緒でドナの日記を読み、父親の可能性のある昔の恋人3人に招待状を出す。

ABBAに託した青春

ABBAが活躍した年代は1970年代半ば~80年代初頭といいますから、僕はリアルタイムで彼らの音楽に接してはいませんし、全世界的に大フィーバーを巻き起こしたということも知りません。僕が初めて世界的なアーティストとして知ったのはマイケル・ジャクソンですから、彼らに熱狂したのはちょうど僕の親か、それよりちょっと若い世代の人たちだったのでしょう。そういえば、僕が初めてABBAを知ったのは、CDプレーヤーを買ってもらった時、父親が僕用のものと一緒に購入したのがABBAのベストアルバムでした。ジャケット裏の曲名を見ても「ダンシング・クイーン」こそ知っていましたが、その他の曲は知るよしもありません。しばらく見向きもせず放置していましたが、何気なく再生してみて驚きました。あ、聴いたことある。テレビのCMだったか喫茶店のBGMだったか美容室の有線放送だったかは思い起こせませんでしたが、収録されていた曲のほとんどに何かしらの記憶の一致を感じました。

聴いていて心地よかったのが、その当時僕が好んで聴いていたポップスとは違う、やわらかさや包容力があったことでした。ひと昔のポップスって、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズみたいな感じのフォーク的な曲調がほとんどで、今ひとつバリエーションが感じられなくて好きになれなかったのですが、ABBAの曲にはやわらかさの中に躍動感や、勇気づけてくれる後押し感があり、流行りのMr.Childrenやサザンオールスターズなどに混じってよく聴いていたものです。その頃初めて、ABBAがスウェーデンの音楽グループだったということ、男女4人組(しかも2組の夫婦)だということを知ったくらいですから、いかに僕がABBA世代でなかったということですね。いつの間にか、落ち着きたい時や苛立っている時には、無意識のうちにABBAをCDプレーヤーにかけるようになっていました。

おそらくABBAがきっかけだったと思いますが、その後僕はカーディガンズやエイス・オブ・ベイス、メイヤといったスウェーデン出身の音楽をよく聴くようになりました。というより、好きで聴いていた歌手が気づいてみたらスウェーデン出身だったというケースが多かったです。その頃はたしかスウェーディッシュポップというジャンルは明確に確立されていなかった頃だったので、単なる偶然だったのかもしれませんが、それらの軸となっている何かに引き寄せられ、僕はスウェーディッシュポップを集め続けていたのだと思います。その軸とは「メロディー」です。透明で刺々しくなく、自然に耳に入ってくる優しいメロディー。聴く人を選ばない普遍性がありながら一度聴いたら最後まで聴かずにはいられない創意あふれるメロディー。そして、どこかポップアートの展示会にでも迷い込んだかのようなライトでキュートなメロディー。僕はそうしたスウェーディッシュポップに、相当長い期間ハマっていました。

だからこそこの映画が(正確にはミュージカルが)できたのでしょう。誰もが知っていて誰もが踊った記憶のある曲。たとえ世代でなかったとしても親から聴き継がれたり、親が聴いているのを又聞きしていて懐かしさを感じられる曲。それに、まったく知らない世代でも違和感なく受け入れてもらえるメロディーとメッセージ性をもった曲。映画なので当然役者が出て来て演技をしているので視覚的にABBAがでてくるわけではないのですが、映画を観ている人の大半は当時ライブ会場やテレビで熱狂したABBAの姿を見ていたはずです。いや、ABBA自体というより、ABBAに熱を上げていた当時の青春を謳歌していた自分自身を思い起こしていたかもしれません。素晴らしいですね。僕の世代で(もう若くはないですが……)世界を虜にするポップアーティストが出てくるのか、鶴首して待ってみようかと思います。


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