モンスター

(2003年 / アメリカ)

肉親の暴力に合い、ティーンの頃から体を売って生活するしか道がなかったアイリーンは、人生に絶望し、自殺を考えていた。そんなときセルビーと出会う。両親から強制的に同性愛の治療をさせられていた彼女とアイリーンはひかれあい、一緒に暮らすようになる。

精神的なつながりを求めてたどり着いた先

今月19日、タレントの一ノ瀬文香さんと女優の杉森茜さんが、都内で人前式および披露宴を行ったことがメディアで大々的に報じられました。誰もが知っている大スター同士の結婚だからというわけではなく(僕はまったく存じあげませんでした)、芸能界では異例の同性婚ということで注目を集めましたわけです。一ノ瀬さんはレズビアンであることをカミングアウト、杉森さんは同性が好きであることを自覚していたというバックグラウンドを持つ2人は、新宿のゲイバーで知り合い交際をスタート。その約2年半後に、「結婚」という節目にたどり着きました。ただ、日本では同性同士の法的な婚姻は成立しません。それでも2人は「今週中に婚姻届を出しに行く」との決意を語り、「やってみないとわからない。不受理の気持ちからまた新しいことができるかなと思う」と前向きな姿勢を示したのでした。なお、2013年3月には、元宝塚女優の東小雪さんと増原裕子さんが、東京ディズニーシーで女性同士の挙式を挙げています。

そんな中、東京都渋谷区の区議会で先月31日、「同性パートナーシップ条例」が賛成21人反対10人の賛成多数で可決されました。これは同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行するもので、相続や扶養について効力がないなどの問題点もありますが、「賃貸の契約ができない」「パートナーが緊急入院した際に面会ができない」といったケースの解決策となると見られています。さらに、先だって行われた渋谷区長選では、この条例の発案者である長谷部健氏が当選。同性婚条例が全国的に支持され施行する地方自治法が増えていくのではと目されているとのことです。ちなみに、同性婚が法的に認められている国、地域は、英国(北アイルランドを除く)、フランス、オランダなど欧州11カ国、米国18州などとなっています。

ところで、別にいやらしい意味ではありませんが、同性同士(ここでは女性)の愛し方ってどんな感じなのでしょうか。僕は男なので想像の範囲でしかイメージ湧きませんが、どうやらAVによくある女性同士が激しく絡み合う、いわゆるレズもので描かれるセックスは、あくまでも男に見せるため(ソフトを売るため)商業的に作り込んだものに過ぎないんだそうです。もちろん、人によっていろいろな愛し方があって当然ですが、女性同士の場合、ずっと手をつないでいたり抱き合っていたりするなど、とにかく一緒にいるということを確かめ合うという、精神的なつながりを求めることが傾向として多いとのこと。異性を目にするとすぐに肉体的なセックスへの欲望を露わにする男は、女性に本能的に忌避されることは言わずもがなですが、その理由は女性がどんな愛され方を求めているのかにあったんですね。また、女性は子孫を残すという大切な役割を背負っているだけに、性的欲求だけが目的のセックスでは満たされないという理由もあるのかもしれません。

で、レズビアンになりやすい女性の特徴を調べてみました。まず「男性に嫌悪感を抱いている、幻滅している女性」。過去に付き合った男性に、暴力を振るわれたり屈辱的な思いをさせられた女性は「それなら女性のほうが…」と深層心理の中で感じるのだそうです。次に「男性社会の中で育った女性」。周りの男性心理の影響を近くで感じそれを自分を共有するので、自然と男性な心理が自分の中に育っていくと考えられています。そして「主婦や水商売をしてる女性」。男性を商売相手、パートナーと割り切ってる女性は不思議と女性に興味が出てきてしまうのだそうです。これらに共通している点は、男性に対して愛情を抱けない感情が芽生え、女性を愛するようになるということですね。

さて、この映画ですが、主人公のアイリーンは酒場で知り合ったセルビーという女性と知り合って恋に落ちますが、それ以前の描写でアイリーンが同性愛者ということを匂わせるシーンはひとつもありません。しかし、上述した「レズビアンになりやすい女性の特徴」を当てはめてみると、実によく当てはまります。強姦され続けてきた幼い頃の記憶に苛まれながら、薄汚い身なりで肌はボロボロ、手に職はなく、当然ながら所持金はほとんどない。そんなアイリーンができることといったら売春くらいで、道路脇に立って客を取ってなけなしのカネを稼いでは一銭も残らず飲みつぶしてしまうという毎日。自殺を思い立った矢先に、セルビーと出会います。おそらくセルビーは真性レズだったと思いますが、酒場でアイリーンを見かけアプローチ。男のようにガサツでワイルドなアイリーンに対し、わがままで純真無垢な少年のような心を持ったセルビー。遊園地で子供のように無邪気に遊ぶ一方、激しく口論もし合う2人は、これ以上ない「精神的なつながり」を感じ合います。そして、2人は激しく求め合うようになるのです。

物語の結末如何よりも、僕はこの映画で描かれた女性同士の結びつきについてより強く関心を抱きました。僕は同性愛者ではないので実感は湧かないのですが、この「精神的なつながり」を感じられるということは、パートナーが異性、同性問わず、何より素晴らしい人生だと思います。法的、いや世間体として同性愛者は爪弾きにされる風潮がまだ根強いですが、それでも一緒にいたいと思えるのは「精神的なつながり」ゆえなのでしょう。こうした精神作用というのは感受性の高まりを引き起こすため、同性愛者に芸術家が多いという話も納得できます。僕もそんな「精神的なつながり」を感じあえる人と出会えるのでしょうか。あ、いや、もちろん相手は異性で。


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