サン・ジャックへの道

(2007年 / フランス)

亡き母親の遺産を相続するため、1500kmもの巡礼路を一緒に歩くことになった険悪な3兄弟。ほかにも失読症を直して大好きな母親に喜んでもらいたい少年や、ワケありな女性など個性的な面々が同行することになるのだが…。

自分探しの旅とは

「巡礼」なんて大げさなものではありませんでしたが、僕もある地点を目指して海外を旅したことがあります。その地点とはカンボジアのアンコールワットです。香港からスタートして陸路を伝ってカンボジアまで行くというもので、この旅自体の最終目的地はシンガポールだったのですが、旅を思い立ったきっかけがアンコールワットだったので、実質的にはそこにたどり着くことで旅の目的を果たしたと同じことでした。40リットルくらいのバックパックを背負った貧乏旅行という体裁だったので(実際貧乏でしたが)、交通手段は主にバスで、中国からベトナムに渡るときに列車に乗ったのが唯一の例外。泊まるところはホテルでシングルルームなんて贅沢はせず、何人かで部屋をシェアするゲストハウスのドミトリーがメイン。食事も、洒落たレストランなんて選択肢があるはずもなく、野外の露天で麺一杯でさえ値段交渉をして少しでも安く浮かせようと奮闘する毎日。初めの1、2週間ほどは日本での生活のクセが抜けず不愉快になることも多かったのですが、それ以降になると現地人と英語と簡単な現地語を交えた交渉は堂に入ったものですっかり一人前のパックパッカーの出来上がり。そんな中、憧れていたアンコールワットをこの目で見た瞬間は、得も言われぬ感動を味わったものです。

僕らが「アンコールワット」と呼ぶのは、カンボジア国旗に描かれている尖塔がある古城のことですが、その周辺にはいくつもの遺跡が点在しており、それらを総称してアンコールワット遺跡群と言います。だから、「アンコールワットを見に行く」と言うからには、メインの古城だけを見学するだけでなく、遺跡群もひっくるめて見て回るのが一般的。とは言っても、遺跡群はそれぞれ離れた場所に点在しており、さらに観光の拠点となるシェムリアップの街から離れているため、徒歩で向かうのは現実的でなく、バイクタクシーやトゥクトゥクをレンタルするのが普通です(ツアー客は観光バスでしょうけど)。シェムリアップの安宿に泊まると必ずバイクタクシーのおじさんが勧誘してくるので自分で手配する必要はなく、値段も固定されているのでぼったくられる心配もありません。僕は3日間バイクタクシーをチャーターしたのですが、運転手のおじさんがすごくいい人で親日家でもあり、遺跡観光以外にも自宅に連れて行ってもらったり食事をおごってくれたりコース以外の場所(日本の支援で建てられた学校や家屋)にも案内してくれました。もちろん、その後も旅は続きましたが、アンコールワットを訪れて憧れの遺跡以外にも感動的な出会いや発見があり、本当に旅に出て良かったと実感したのでした。

僕のようにどこかを目指し、バックパックを背負って海外を長期旅行する日本人はたくさんいます。実際、旅を続けている最中、日本人宿でなくとも、至るところで日本人バックパッカーと出会いますし、最近では女性が一人旅をしているケースもよく見かけます。そんな彼らと同宿すると情報交換できるので、これからのルートづくりや日程調整に関してまたとないリアルな情報が得られ、旅を円滑に進めていくためにはそうした小さなコミュニケーションが本当に重要になります。日本と違って政情が安定しない国も多いですし、ビザの発給要件、次泊まる予定の宿の混み具合、おすすめの料理、交通状況など、得られる情報は限りないです。そうやって得た情報を自分の旅程や予算と照らし合わせてスケジュールを組み直したり、行き先を変更したり、または予定外だったけど興味をそそられたエリアに足を伸ばしてみるなど、自分が思い立った旅をどれだけ充実したものにするかという自己管理を学んでいくのです。

おそらくこれが「自分探しの旅」の本質なのではないでしょうか。まず思い立ったことを実行に移すことから始め、自ら立てた予定に添って旅を進めていく。その中で、思わぬトラブルや天候不順、ストライキ、祝祭などにぶつかり予定は必ず狂います。そこでどのように予定を立て直していけばいいのか。それは自分で動いて情報を集める他ありません。その集めた情報を基にリスケジューリングし、旅の目的を見失うことなくロスは最小限に抑える。これの繰り返しです。想定外の事態に直面して「なんだよー」と恨み節ばかりで旅を放棄してしまうのも結果的にはそういう自分自身を発見したことになるのでしょうが、「自分探しの旅」とは過程のことであり、自分自身を成長させていく場であるのです。だから、想定外を普通と思えなければ成長した先の自分と出会えることはありません。こういうバックパック旅行をするのは時間のある学生がほとんどだと思いますが、社会に出てまず置いてきぼりにされるのは、言われたことしかできない指示待ちくんだということを知っておいてほしい。機を見るに敏であることが至上とは言いませんが、少なくとも自分で考えられない人は必ず落伍するのです。

旅をするべきです。それもパッケージツアーではない、自分自身でアレンジする完全個人旅行です。それをしなかったら人間として認められないと言いたいわけではありませんが、日本の常識が通用しない異国の地で生活をし目的を達成して帰ってきたという事実は絶対にプラスになります。人間的にも丸みを帯び、周囲に敏感になっていることを実感できると思います。この映画は、旅の目的こそ不純なものでしたが、内容的に上述したエッセンスや心理描写が詰め込まれており、僕自身実感として共感できる場面が多々ありました。だから、もう社会人になってしまったから憧れは憧れのまましまっておこうというのはもったいなさすぎます。自分の人生を大切にしていないとも思います。だって僕がバックパッカーになったのは社会人になってからだし、「自分探しの旅」はこれからも続けていくつもりです。まずは目的を定めることからスタートしてみませんか。


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