ル・アーヴルの靴みがき

(2011年 / フランス)

ル・アーヴルの駅前で靴磨きをしている初老の男と行き場のない孤独な少年が出会い、市井の人々の人間模様を繊細に描く。ひとりの少年との出会いがマルセルの人生にさざ波を起こす。

低所得者と密航者が孕む爆弾

簡単にストーリーを紹介してしまうと、靴磨きの老人マルセルがアフリカからの密航者イドリッサを自宅に匿って目的地のロンドンに送る手助けをするという話です。本来であれば、マルセルが取った行為は密航者を隠匿する犯罪行為であり、描き方次第で切迫感あふれるクライムサスペンスになるところですが、この映画にはそうしたダークな面は一切ありません。むしろ、舞台となった北仏ル・アーヴルに降り注ぐやわらかい陽光のように暖かく、マルセルを取り囲む人たちも陽気で親切で、しかも密航者を検挙すべき警部までもその空気に流されてしまうというハートウォーミングな作品に仕上がっています。郊外の小さな借家で暮らすマルセルとその妻アルレッティの生活は実に倹しいものですが、近所の優しい人たちとの交流により一日一日を生き生きと過ごしている。この映画を通して、彼らから明日も頑張ろうという元気をもらっちゃいました。

って、本当にそうでしょうか。この映画を俯瞰するだけならそうした見方で正しいのでしょうけど、ドラマの背後に見逃せない現実が少なくともふたつ横たわっていることを忘れてはいけません。それは「靴磨き=低所得者」と「密航者=外国人移民」という深刻な社会問題となっているイッシューです。特に、フランス映画だからこそ象徴的に浮き彫りになっている移民問題。現在、フランスの人口6200万人のうち、移民は約430万人で、そのうち300万人がマグレブ系(北アフリカ出身のイスラム教徒)だとのことで、彼らの二世・三世が2005年10月末にパリで起こした暴動は記憶に新しいでしょう。暴動は半月ほど続き、その間、多くの公共施設が破壊され、放火された乗用車は9000台を超え、逮捕者も3000人近くに達したそうです。原因は言うまでもなく、差別と格差。これを単なるフランス人による排外的な人種差別が引き起こした悲劇と捉えるのは筋違いで、フランスのような歴史ある自然国家(対義はアメリカのような人工国家)において、異なる人種同士が共存するための解決策を根本から考え直さねばならない問題であるのです。

昨今、日本においても毎年20万人の移民を受け入れる方針を本格的に検討し始めたという動きがあります。少子高齢化に伴う人口減と人手不足の解消が目的ではあるのですが、たとえ数値上の問題は解決したとしても、実際に移民制限を解禁した後に発生するであろう事態を想定していないとしたら、これは政府が無能だったどころの話ではないということになってしまいます。というのも、仮に移民を大量に受け入れたとして、日本の人口減と人手不足が解決したら祖国にお帰りくださいという条件をつけてもまず彼らは帰国しないでしょう。なにしろ、日本の生活環境、交通、教育、行政サービスなどは世界有数のレベルであり、居心地の良さでは間違いなく世界一です。ほかにも、言葉や生活習慣、技術継承、治安悪化など問題は山積していますが、中でも留意すべきは、人件費の安い移民が日本人の職を奪うことによって日本人が貧困化するということです。

いまのところ、日本は高度な専門性や技術を持った外国人のみに国内での就労を認めています。しかし、単純労働しかできない移民がやって来たら、あてがわれるのは組み立て工場など比較的簡単な作業の仕事になるわけで、そうなると当然もともとそこで働いていた日本人はお役御免となってしまいます。単純労働の経験しか持たない日本人がほかで雇ってもらえるという確証はあるのでしょうか。所得がなくなってしまったら、生き延びるためには消費を切り詰めていくしかありません。国内の消費が減れば企業はどんどん工場稼働率を減らしていきます。コストダウンのために日本人がどんどん首を切られ、その代わり移民を入れていくのです。では、移民は日本で稼いだお金を日本国内で消費するでしょうか。必要最低限は消費するでしょうが、ほとんどは祖国の家族に送金してしまうはずです。これでは日本からポンプのように富を吸い上げて外国へ横流ししているのと同じです。

こうなってしまったら、暴動を起こすのはどちらでしょうか。移民がいじめや差別を腹に据えかねて暴動を起こすのはわかります。ですが、職を奪われ家族を養う術を失った日本人が怨嗟の対象とするのは誰か、口にせずとも明らかでしょう。さらに考えられることは、こうした日本人の不穏分子に擦り寄って日本解体を企む勢力が跳梁してくるということ。かつての労使抗争に似た構図が全国規模で首をもたげてくるのです。日本は島国であり、しかも世界一古い国家として君臨している国です。こうした事情により、国際感覚がない、外国人忌避が激しいというのはある意味当然。その国にはその国ならではの国柄があるので、単純に世界標準の流れに乗っかって我が国も移民を受け入れますでは取り返しの付かないことになってしまうのです。

この映画を観て、ほんわかしたりハートフルな気持ちになるのは結構です。ですが、イドリッサは学があっていい子だから見逃してやったっていいじゃん、イドリッサみたいなかわいそうな子供をひとりでも減らすために日本はいますぐにでも移民を受け入れなきゃダメじゃん、と思ってしまうのは非常に危険です。脳天気と言って差し支えないでしょう。映画は映画、現実は現実と割りきらねばいけません。マルセルという名の低所得者、イドリッサという名の密航者(移民)。日本がまずしなければならないことは、マルセルにちゃんとした仕事を与えて中流の生活を保障し、イドリッサの流入を厳しく制限することにほかならないのですから。


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