胡同のひまわり
(2006年 / 中国)文化大革命後、強制労働から帰って来た父は、画家になるという自分の果たせなかった夢を息子に託そうとする。だが、父のスパルタ指導に息子は反発し…。
絵に残すことこそ記憶に残すこと
絵を描くことは得意でもないし好きでもありません。むしろかなり苦手意識を持っていて、何かで図示的な説明を求められたとき、ちょっとイラスト書いてみてと言われると、無意識のうちに顔をしかめてしまいます。こんな僕でも、小学生の頃は水彩画マイスターでした。マイスターというのはさすがに言いすぎましたが、中高学年の頃は市や県のコンクールで佳作・入選・特選を取りまくっていたという燦然たる過去があるのです。当時は自分でも絵がうまいなどとはまったく思っておらず、また絵が専門の担任教師に特別目をかけられていたというわけでもありませんでした。クラスには抜群に絵がうまい友だちがいたのですが、彼が賞を取ったことはいとどもなく、逆にクラスで誰かが絵で受賞したとなると必ず僕でした。理由はわかりません。字が下手でも元気な筆遣いが評価されて習字で賞を取ってしまうことは、小学生の特権であったりしますが、それと同じなのかどうかもわかりません。なぜなら、僕は絵を描くことに快感は覚えずとも、見たまま丹念に描き、決してエキセントリックかつ元気よく描くことはしていなかったからです。
見たまま丹念に描けば賞が取れるのか。そんなことはないはずです。たとえ完璧に写生できる小学生がいたとして、人物や建物、果物などをまるで写真のように描いたとしても、賞を取れるとは限らないでしょう。その理由として、元気のいい習字が受賞するのとは反対に、完璧すぎて小学生らしくないことなのかもしれませんが、おそらく「印象に残らないから」ではないかと思います(もちろん小学生レベルで)。僕は美術館には滅多に行きませんが、それでも思わず足を止めてしまうのは、無条件で記憶に焼き付いてしまうインパクトのある絵です。風景や人物をそのまま描いたものは綺麗だなと思いはしますが、一瞬目をやっただけで通りすぎてしまい記憶に残ることはありません。逆に、ピカソのよくわからない絵や、ダリの吐き気がしそうな絵、ゴッホの意味不明に渦を巻いている絵、目が回りそうなシュールレアリスムの絵。絵で賞を取っていた僕に、こうした画力があったかどうかはわかりません。でも、審査員の目に止まりある一定の印象を残したことは事実でしょう。ちなみに、中学以降、絵で賞を取ることは一切なくなりました。
観光地に行くと、誰もがデジタルカメラを持っていて、風景の写真を撮ったり同行者と記念撮影をしている姿を嫌でも目にします。最近では携帯電話やスマートフォンでも気軽に写真を撮ってSNSに掲載できるので、画像フォルダに入っているのは景勝地だけではなく、友だちの何気ない写真だったり、自作した料理の写真だったりします。この傾向はいったいどういうことでしょうか。楽しみたい、知らせたい、自慢したい、教えたい、威圧したい、証拠にしたいなど、いろいろ考えられますが、やはり「記憶に留めておきたい」に尽きるのではないでしょうか。遊びに行った時だけでなく、正月に家族が集った時や結婚式や七五三などめでたい時に記念撮影するのもそのためです。ただしかし、アメリカの心理学研究者リンダ・ヘンケル氏によると、「写真を撮影した分だけ、私たちの中の記憶(思い出)は失われている」のだそうです。「記憶すること」をデジタル機器に頼りすぎると思い出が失われていってしまう、また、角度や構図を気にしてばかりいるので肝心の大切な風景や出来事が思い出として残りにくいからだといいます。
わかる気がします。街を歩いていて、ふと有名人を見かけた瞬間、スマホのカメラを向けて撮影し嬉々とする。画像として自分のスマホに保存されていることで、その有名人を所有したような錯覚に陥っているのでしょう。そしてツイッターでその画像を流すことで優越感に浸る。バイト先の食材に不見識なことをするなどした画像を流す若者が増えて社会問題化していますが、その原因として、カメラの本来の目的が薄れてきていること以上に、すでに「記憶すること」が第一義的ではなくなってきつつあるからではないかと思います。もちろん、常識的に生活している大多数の人たちにとって、カメラ、つまり写真を撮るこに記憶補助という役割を見出しているわけですが、誰でも手軽に、しかも見たまま鮮明に映像を残せるということが果たしてその当時の心象も同様に記憶してくれているのか、僕は疑問でなりません。
この映画は、「絵を描く」という人間として必ずしも必須とはいえない動作を軸に、中国・北京の胡同と呼ばれる古い街並みに生きる家族を描いた作品です。画家だった父が強制労働により絵を描けなくなり息子に自ら果たせなかったことを託そうとするが、息子からは反発され続けます。成長した息子は相変わらず父の指図のもと絵の道を歩んでいますが、ことあるごとに逃げ出そうとしそのたびに連れ戻されます。つねに喧嘩ばかりしている父と子。頑固一徹の父に情緒不安定になる母。絵で家族をひとつにしようとするも、その絵によって家族関係はバラバラになっていってしまいます。やがて息子は結婚。その頃、彼は個展を開けるだけの絵の才能を開花させていたのです。
焦点は「絵」でないと思いました。息子に絵を描かせるとき、父はしきりに絵のモデルになります。デジカメもスマホもない時代なので、写真を撮るということは現在ほど気軽なものではありませんでした。なので、絵を上手に描けるということは身近な人たちの身近な姿を直に残しておける才能として捉えられていたと思います。その「記憶に残せる」才能が向くベクトルを伝道者である父自らに向けさせた。息子はそんな父が嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、描かないと怒られるので終いまで描ききります。父は息子が描く絵に特別なものを見出していたのではなく、何かを植えつけたかったのはないでしょうか。もしかしたら、息子にとてつもないポテンシャルを感じたのではなく、絵を描くという自分が唯一できることを通じて、息子に何かを植え付ける、その絵を見た人に何かの印象を与える技法を植え付けたかったのかもしれない。それこそが画家だった頃の父が本当にしたかったことなのかもしれません。
翻って、小学校だった頃の僕が絵で賞を取れていた理由は何だったかを考え直してみたい。僕に何らかの才能があったからこそ審査員の心を動かせたのだとしたら、そして、その何らかの才能がまだ生きているのだとしたら。僕が描いた絵にはきっと誰もが持ち得ない「記憶に残る」印象的なものがあったに違いない。もうこんな年齢になってしまったけど、もう一度、絵筆を握ってみようか。