単騎、千里を走る。
(2005年 / 日本、中国)息子が病床にいると聞いた高田だったが、息子との間には確執があり、長年会うこともなかった。しかし、余命いくばくもないと知り、彼は息子と中国の役者リー・ジャーミンとの約束を果たすために、単身中国へ渡る。
高倉健と中国人
もう10年以上前の話ですけど、僕は家の近くの外語センターで中国語の講座を受講していました。そこは、地域のコミュニティセンターにあるような挨拶程度を学ぶカリキュラムではなく、ビジネスマンを対象とした本格的な会話学校でした。規模としてはそれほど大きくはなかったのですが、他のフランチャイズ型の有名英会話学校と明らかに違っていたのが、学べる外国語の豊富さ。英語、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語といったメジャーな外国語だけでなく、マレー語、ヒンディー語、ネパール語、ウルドゥー語、ベンガル語など、どう考えても需要僅少としか思えない言語までカバーしているのです。実際に受講する人がいるから設けているとは思いますが、やはりメジャー級外国語の受講料と比べると割高でした。で、僕が受講していた中国語のクラスは、どちらかと言うと中級レベルで、ビジネス向けというより日常会話の習得がメイン。生徒は3人、先生は北京出身の女性で、とてもきれいな普通語を話す方でした。
僕を除いた2人の生徒さんは、年配の会社員の方で、仕事でよく中国に出張するとのことで受講されたそうです。そのうちの1人は企業の社長さんで、中国に工場を持っていると言っていました。ところで、僕が中国人の先生について勉強しようとした理由は、単に旅行で不便したくなかったから。それまではテキストを買って独学で勉強していましたが、どうしても単方向的な学習になりがちだったので、リアルな中国人と生の会話に勝るものはないと判断して通うことにしたのです。当時は旅に出ると言ったら中国と即答するくらい、中国の魅力にハマっていたので、日本にいながら中国人と中国語で話すことは楽しかったです。学校に通う前にも何度か中国旅行はしていて、自前の中国語で何とか意思疎通して周遊していましたが、本格的に学習をするとだんだんと言葉に自信がついてきてすぐにでも旅に出たくなってくるものです。結局、その学校は1年くらいで辞めましたが、その間に短期語学留学の斡旋をしてもらったり、いろいろお世話になりました。その頃は日中関係が政治的に冷え切っていた時期ではありましたが(いまも蜜月関係とはいえませんが)、日本で出会った中国人はもちろん、現地の人もみな親切でした。
いまでも記憶に残っていることがあります。それは先生に中国人の日本人観を聞いたときのことでした。先生は、「中国人は基本的には素朴で、偉業を成し遂げた人を素直に尊敬する面を持っています。だから、敗戦の焼け野原から世界随一の技術大国になった日本のことは尊敬しているのです」と言い、そのあとで「中国人がいちばん好きな日本人は高倉健です」と付け加えました。高倉健。もちろん名前は知っています。でも、僕はこれまで彼の映画を観たことはなかったし、親世代が熱狂したスターだということは認めるけど、老域に達した俳優のうちのひとりというイメージしかありませんでした。なぜか僕の中では、石原裕次郎とか加山雄三らに埋もれた存在でした。そんな中、2014年11月10日、高倉さんは83歳で亡くなりました。すると、中国国営放送は彼の死を速報で報じ、25分間もの特別枠を取って追悼番組を放送したとのこと。調べてみると、中国人の半分以上が観たと言われる日本映画「君よ憤怒の河を渉れ」をきっかけに、高倉さんは絶大な人気を誇っていたといいます。なぜ人気者になったのかですが、映画自体が当時の中国からしたら斬新かつ娯楽要素満載で面白かったことに加え、律儀で寡黙で男っぽい魅力に取りつかれたからというのが一般的な見方です。あくまでも役どころであり本来の人柄だとは言えません。でも、ヒーローに求めているものというか、理想とする男性像に日中が一致したという側面はあると思います。
この映画の監督であるチャン・イーモウも、そんな高倉さんに魅せられたひとり。一般の中国人と同じように、高倉さんの映画を通して高倉さんに憧れ、高倉さんのような男になりたいと思っていたのではと推測してしまいます。チャン監督が撮影を通して得た高倉さんの印象をこう語っています。「高倉さんは本当にひととなりが素晴らしく、昔堅気な人だった。高倉さんはつねに人のことを考えるような尊敬に値する人でした」。実際の高倉さんは、映画の役どころである不器用でぶっきらぼうなタイプというより、思慮深く他人思いな人。それだけでも誰からも尊敬を集めるという一方、もうひとつ中国人から尊敬を得てやまない人物像がある。それこそが銀幕で見せる高倉さんの「職人気質」でしょう。かつて僕の中国語の先生が教えてくれた中国人の気質。中国人は偉業を成し遂げた人を素直に尊敬する。中国人にとって、高倉健とは日本の高度経済成長の象徴だったのかもしれません。この映画に関しては、内容よりも、僕ら日本人、特に70、80年代以降に生まれた高度経済成長期を知らない日本人が、世界から尊敬を集める日本人像とは何かを見つめるきっかけにすべき作品なのではないかと感じました。