メイジーの瞳

(2012年 / アメリカ)

両親が離婚してふたつの家を10日ごとに行き来することになった6歳の女の子・メイジー。それぞれの新しいパートナーともすぐに打ち解けた彼女だったが…。

子供の感受性に安心する大人たち

メイジーの瞳

両親が子供の前で口喧嘩して子供に影響を及ぼさないなんてことは絶対にあり得ません。無邪気であり無力でもある子供は、両親のことは「自分のことをつねに真剣に考えてくれている」と信じ込んでいます。自分にとって唯一の味方であるはずの両親が互いに目玉を剥き出して口論をしている。そんな姿は、子供に対する両親の裏切り行為であり、もともと脆弱である子供の精神をさらに不安定にすることにほかなりません。両親がしょっちゅう口喧嘩する環境にいる子供には、「心理的に抑圧されPTSDなどの精神疾患になりやすい」「成長ホルモンの分泌が悪くなり身体的成長が阻害される」「恋愛や結婚に否定的になる」「自己肯定感が育まれない」「過大なストレスにより暴力的な大人に育つ」といった悪影響があるとのことです。その中でも、自己肯定感が育まれない、という影響はとても大きいと思います。

自己肯定感とは、「自分は大切な存在である」と思える心の状態。両親の仲が良い家庭で育った子供は自己肯定感が強く、多少のことではめげずに堂々と人生を歩んでいけるのですが、喧嘩の絶えない両親のもとで育った子供は「自分はいらない存在だ」と自己否定に陥ってしまうのです。たとえ誰かに必要とされ、愛され、自分が大切な存在であると伝えられたにもかかわらず、当の本人がそれを信じることができない。物事を捉える際、まず自己否定を前提としてしまうので、つねに怯え周りの様子を伺うことしかできなかったり、人前で委縮して自分の表現できず人間関係を構築できなかったり、果てには自分の存在に価値を見いだせなくなり自傷行為に走ったりしてしまいます。これで幸せな人生を送ることができるでしょうか。

この映画の主人公メイジーは、両親の口論が絶えない、結婚生活的に末期症状の家庭のひとり娘。やがて両親の離婚が成立し、父はお手伝いさんの女性、母はバーデンダーとそれぞれ再婚。10日ずつ交替で元両親(親権がどちらにあるのかは忘れました)のもとへ行き、可愛がってもらいます。しかし、その元両親もそれぞれの再婚相手とうまくいかなくなり、しまいには再婚相手同士がくっついてしまう始末。それでもメイジーは健気に、自分を愛してくれる相手に笑顔を見せます。そんなメイジーを見て、関係が入り乱れメイジーを混乱させたはずの4人の大人は、自分こそいちばんメイジーを愛していると信じて疑わないのです。果たしてこの映画は、小さな子供が、もつれ合う大人たちに純真な愛を伝える微笑ましい作品なのでしょうか。

メイジーは本当に純粋な心のまま笑顔を見せていた、なんてわけありません。彼女は怯えていました。罵り合う両親との間で、新しい組み合わせとなった「二組」の両親との間で、そしてまったく赤の他人だった男女が新たな両親となりつつあった間で。まだ大人の事情など理解できるはずもない彼女は、無意識のうちに自分で自分を守っていた。自分の周りで諍いが起き不安やストレスに苛まれていくうちに、何も感じないように感情を鈍麻させていくことで自己防衛していた。そんなメイジーを救ってあげられるのは大人たちしかいないのだけれど、大人は大人でメイジーの心が毒されていることなんて気づいていない。むしろ、メイジーの救いになっているのはまさに俺(私)なのだと思い込んでいる。怖ろしい話です。メイジーはいったいどんな大人に成長するというのでしょう。「自分は大切な存在である」と心から思える大人に成長できるのでしょうか。

誰だって小さい頃に大なり小なり心の傷を負って、それを乗り越えながら大人になっていくものです。トラウマと呼べるほど深くないにしても、幼少期に負った心の傷は一生拭い去れず自分の行動パターンに一定の影響を及ぼすことはよく知られています。その傷口が広がるか否かは、本人の精神力よりも、両親の無関心がより大きく影響していることは言うまでもありません。メイジーの姿を見て、ハッとする人はきっと多いことと思います。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です