ホワイトハウス・ダウン

(2013年 / アメリカ)

ホワイトハウスが占拠されてしまうアメリカ史上最悪の危機に、たまたま居合わせてしまった議会警察官ジョン・ケイル。テロリストたちから第46代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ソイヤーを、ひいては世界を守るために戦うことになっていく。

巻き込まれ系映画好きの弊害

ホワイトハウス・ダウン

本来自分はまったく無関係なのに、たまたまその場に居合わせただけで一国の命運を左右する事態に巻き込まれていく。アクション映画ではよくある設定ですが、こうした事態が現実として発生し、その行く末があなたに委ねられたとしたら、もうポップコーンを片手に客観的に見てはいられなくなります。どういうシチュエーションを想定するかにもよりますが、たとえば異星人の襲来、巨大地震の発生、サイバーテロで国家機能が完全麻痺などに巻き込まれたとして、あなたが異星人との交渉役に選ばれたとか元海兵隊員だったとか特殊なITスキルを持っていたとかで難局に立ち向かわねばならなくなったとします。動ける人間で頼りになるのはあなただけ。リセットボタンはありません。

おそらく、こういった場合、何のためらいもなく首を縦に振ることは考えられず、何かまたは誰かのためになら命を捨ててもいいと言って承諾するはずです。その何か、誰かとは、その人の立場や心情、人間関係によるところ大でしょう。たとえば、軍人や国家公務員だったら「国のために」と言い、敬虔な宗教者や神職だったら「神のために」と言い、愛する家族を持つ人だったら「家族のために」と言うわけです。これらは理屈の上では当然のことであるのですが、たとえ信仰や愛情の対象を守るにしても、自分がその難局に打ち勝てるだけの力量がないことには単なる無駄死で終わってしまいます。だったら、「私には無理です」と言って断ったほうが、国の税収の面でも家族のためにも正しい選択をしたということになります。

では、どうしたら難局の中で立ち上がる英雄を生むことができるのか。それは、こうした「巻き込まれ系」のアクション映画をよく観る人の心理を探ってみるとわかるような気がします。おそらく男性に多いと思うのですが、突然大事件に巻き込まれていつの間にか自分が相手を倒さねばならない状況に陥るというのは、「退屈な日常から逃避させてくれるスリリングな出来事」として非常事態を歓迎する冒険心が喚起されるのではないかと思います。日頃のルーティンワークに嫌気が差し、「なにか楽しいことないかな」が口癖になっている人。こういった人たちは大雪警報で電車が止まるというニュースを聞くと、条件反射的にワクワクしてきます。いつもと違う明日が来ることに興奮を覚えるのです。ですが、こういった連中は本当の非常時において役に立つことはありません。むしろ、余計なことに首を突っ込むだけの邪魔者になることでしょう。

というわけで、ここまでの前提を否定するようですが、非常時での突発的な英雄の出現を期待することはやめておいたほうがいいです。部外者、門外漢、専門外はもちろん、たとえ愛国心、深い信仰心、家族への愛情を持った人でも係官の指示に従わなければならない。医者が必要という場面も出てくるでしょうが、ここでさらなる悲劇を生むのは個人が勝手な行動をして全体の秩序を乱し、不安を波及させてしまうことです。だから、僕が言いたいのは、現場の警備担当者はもっとしっかりしろ、ということ。映画なので彼らが怠慢だったり非力でないと面白くならないのは承知ですが、そもそも彼らが「映画だから」という理由で一般人の中から英雄が出てくることを期待しているような気がしてなりません。こういった映画がヒットするたびに、要所の警備員を志望する人が減るのではと心配せずにはいられません。


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