パリ、ジュテーム
(2006年 / フランス)パリを舞台にして綴られる18のショートストーリー。テーマは「愛」。ひとつの作品の時間は5分という限られた世界ながら、監督や役者、それぞれの個性は十分に発揮されている。
パリを舞台にした18通りの妄想
パリを舞台に「愛」を描いたオムニバス形式の作品。僕はパリには行ったことがなく、エッフェル塔とか凱旋門とかの観光名所ならまだしも、何区の何公園とかどこどこの有名レストランだとか言われてもちっともわかりません。しかし、全編パリで撮影されたこの映画がなぜ「愛」をテーマにしたかについて何となくわかる気がするし、ロケ地をニューヨークやロンドンなどではなくパリにしたのかもわかる気がしています。なぜかというと、パリは恋愛に限らず、怒りや悲しみや感動など、あらゆる人間の感情を一幅の絵画にしてしまう創造力を喚起する力を持った街だと思うからです。
と思うのは僕の妄想でしょうか。いや、前段ではいろいろ格好つけたことを言ってしまいましたが、つまり、パリは「妄想」が真に受けられる街なんじゃないかなと勝手に想像しています。イギリス人やドイツ人あたりからは「何言ってんだこいつ」と捉えられかねないことを、本気で口にし相手もその気になってしまう。そんな、ある意味、夢見心地になれる土壌が存在する街なんじゃないかなと思います。もちろん、パリジェンヌが始終うわの空で熱っぽいアプローチ(ナンパ)を待っているだなんてことはないでしょうが、パリでは下心の有無にかかわらず、男性が見知らぬ女性に話しかけることが本当に多いとのこと。なので、女性はそれ相応の妄想を受け入れる準備ができており、男性のほうとしてもそんな彼女を虜にするくらいの妄想で挑んでくるのではないかと思っています。
この点、日本人とすごく似ているのではないでしょうか。妄想とは「こだわり」とも言い換えることができ、今風に言えば「オタク」の精神そのものです。妄想とは本来であればマイナスのニュアンスが含まれる言葉ですが、そういった発想を大事にし芸術として昇華している。食のこだわりでもそうですし、日仏両国には固有の文化が非常に多いという点、英語が下手くそなところ(多言語に頼らずとも自国語の豊富な語彙で表現可能なため)、また日本人とフランス人の笑いのツボがよく似ているということも聞いたことがあります。要するに、共に妄想家同士、日本とフランスはとても深い親和性があるのかもしれません。
とは言え、僕はこの映画を彩る18篇のストーリーの半分も理解できませんでした。ただ単純に男女が引かれ合ってキスして終わりというわかりやすい構図なら理解できたのですが、理解できたのも何となくわかった気がする程度のまま観終わりました。僕の乏しい恋愛経験では、アーティスティックな恋愛など共感できるはずもないことは百も承知ですが、これがパリ的な愛だと言い切れるのであるならそう受け取るしかありません。しかし、実際のパリジャン、パリジェンヌにすれば「は?」と思うのもあったはずなので、別に落ち込むことはないわけですね。外国人が空想するパリの恋愛事情というのがあってもいいわけですし。
その中でも、僕が一番共感できたのがラストで登場したストーリーでした。パリに憧れ休暇で数日間滞在しているアメリカの中年女性。彼女は一生懸命勉強したフランス語を駆使し現地人のように振る舞いながら、「きっとあり得ないことが起きる」と信じながらパリの空気に溶け込もうとしています。そして、公園でサンドイッチを食べながら彼女はあることに気づきます。それは「私がパリを愛しているように、パリも私を愛してくれている」ということ。これは一人旅をよくする僕にはとても強く共感できます。言語は最低限のレベルでも、現地人のように街を歩き、現地人のように食事をし、現地人のようにバスや地下鉄に乗る。そう、異国の街が僕を受け入れてくれているという実感。これは本当に舞い上がるくらい心地いい感覚です。百の言葉を費やしても決して伝わるものではないでしょう。あぁ、また旅に出たい。パリに行って思い切り妄想に浸りこみたい。いま、そんな衝動に駆られています。