コラテラル
(2004年 / アメリカ)L.A.のタクシー会社に勤めるマックスは、ヴィンセントと名乗る紳士風の男を乗せたことがきっかけで殺人の手伝いをさせられるハメになり…。
東京という街の巻き添えになっていいのか
地方から東京に出てきて、これだけたくさんの人がいるのだから、きっとすぐに仲の良い友だちができる。田舎では町内会やら地元の行事やらのしがらみがあって、一度でもボイコットすれば即座に村八分にされたけど、東京に出てくればそんな面倒なんてなく、無理に深入りしてこない心地良い人間関係を持てる。こんな思いを抱いて上京してくる人は結構いるんじゃないかと思います。つまり、閉鎖的で因習的な地方から、開放的で寛容な東京への夢の移住。大都会への憧れは誰でも持つのは当然で、地方の中学校の修学旅行は東京と相場が決まっていて原宿は中学生のお上りさんばかりということを考えても、若い人ほど東京志向は顕著と言えるでしょう。彼らは、まず東京進出の足がかりをつかむため、東京の私立大学を受験し(地方の国立大の滑り止めという名目で)、晴れて東京暮らしを始める。ドラマで見た青山や表参道を恋人と手をつないで歩きながらウィンドウショッピング、友だちとレンタカーで江ノ島へドライブ、夜は大人の雰囲気で麻布あたりでワイングラスを傾ける。で、彼らにバラ色のはずの東京暮らしは何色に見えるのか。
言うまでもないことですが、東京にはもともと住んでいる人のほか、他県からさまざまな理由で人が移り住んできます。大阪や名古屋、福岡などの大都市圏も同じですが、やはり会社の本社や機関、大学の数を考えると、人々のバックグラウンドの多様性に関しては東京が群を抜いていると言えるでしょう。これをアメリカに置き換えると、政治の中心地はワシントンDC、経済はニューヨーク市と別になっているのに対し、東京は政治と経済の中心地であることで、その先鋭性をよりいっそう色濃いものとしているのです。だから、東京に行けばなんでもある、東京に住めばなんでもできるという考えに至るのも当然。しかも、東京はつねに新しく進化している街だから、古臭い慣習や人付き合いに縛られることはないと連想するのも無理からぬことでしょう。こうした安直な東京像を抱いて大学生活を送り、東京の会社に就職して、バラ色の東京ライフを送っている人はいったいどのくらいいるのでしょうか。
この映画の舞台は米ロサンゼルス。言わずと知れたアメリカ、いや世界でも屈指の大都会です。この東京と肩を並べる摩天楼に彩られた街には、本来数えきれないほどの人が生活していて、彼らの出身地、肌の色、言語はさまざま。東京以上の多様性に満ち満ちているのです。では、多様性がある、先進的であることが人々のバラ色の生活に直結するのだとしたら、この映画でロサンゼルスの住民たちはさぞかし活き活きと描かれているはずです。路上で人が倒れていたら誰かが声をかけ、電車の中でうずくまっていたら誰かが気遣ってくれて、どこかで銃声が聞こえたら誰かがすぐ警察に通報する。こんなふうに思いやりにあふれた街なら(銃が氾濫しているのに思いやりも何もありませんが)、誰だってロスを目指すでしょう。でも、描かれているのはそんな美しい光景ではありません。階上から死体が降ってきても誰も反応しない、助けを求めたら逆に強盗に遭う、銃声を轟かせて人を殺しても誰も警察を呼ばない。これが真実だとしたら、ロスでの生活がバラ色になると誰が言えましょうか。
僕はもう東京に移り住んで、うん十年になりますが、ここでの生活がバラ色だと思ったことは一度もありません。それは仕事運や金銭運に恵まれなかったということではなく、「すべての人が敵に見える」のです。みな駅では関わりを持たないようにしようと足早にホームに向かい、会社では後で査定に響かないよう形式的な会釈をする、マンションに帰ってきても隣の人の顔を知らない。おそらく、というかほぼ僕自身の問題だとは思いますが、割とよく聞く話です。人によっては東京での人間関係を倦み、○○県人会に所属しているといい、そこでは居心地がとても良いとのことです。何がバラ色でどこが安息地なのかは人それぞれですが、東京は冷たい街だと思います。大学の同級生でも東京ではなく地元で就職した人が何人かいますが、印象的だったのが、彼らが東京を去る際「これでやっと帰れる」と言ったこと。その表情からは、東京は学問のためだけの牢獄であり、刑期が切れる(大学を卒業できる)まで針の筵に座り続けていたように見受けられました。さすがに深読みかもしれませんが、彼らが本当に安堵した表情を浮かべていたことは事実です。
それでもまだ僕は東京を離れるつもりはありません。いくら周りが敵だらけだとしても、そのぶんだけ可能性は転がっているわけで、その恩恵に何度か救われてきました。映画では、「地下鉄で死体が6時間も放置されていたというのに誰も気づかなかった。その隣に何人もが入れ替わり座ったにもかかわらずだ」というセリフがありました。東京もそうでしょうか。「お客さん、終点ですよ」。たとえ鉄道員のお仕事のうちだとしても、気付かれないよりマシ。落し物をしてもたいてい戻ってくる東京はまだまだ救いがあるのではないかと思っています。