イエスマン “YES”は人生のパスワード

(2009年 / アメリカ)

仕事にもプライベートにも「ノー」「嫌だ」「パス」と答える極めて後ろ向きの男、カール・アレン。 親友の婚約パーティーまですっぽかし、「生き方を変えない限り、お前はひとりぼっちになる」と脅されたカールは、勇気を振り絞り、とあるセミナーに参加する。

空気読める人に要注意

イエスマン

山本七平の著書に『空気の研究』というのがあります。目に見えないもの、つまり「空気」としか言いようのないものが日本の社会や人々を支配していることを指摘した名著で、お読みになった方も多いと思います。これを突き詰めて考えてしまうとややこしいのですが、原理としては特に難しいものではなく、よく僕らが無意識のうちに「なんとなく」とか「なりゆきで」と口走ってしまう、行動上の甘えのようなもの。「みんながやっているから」「テレビで絶賛されてたから」という視覚的聴覚的な体験に基づくことがほとんどで、本人の意思や決断が伴っていることはほぼありません。「ちょっと違うかな」と思いつつも、結局他人と同調してしまうのは、みんなと同じであれば仲間はずれにされたり批難されたりすることもないし、時流に逆らっていないという安心感も得られるからだと思います。だって、少しでもみんなと違う方向を向いていると「空気読めよ」とたしなめられてしまうのですから。

では、「空気を読む」とはどういうことでしょうか。たとえば、家族に不幸があった人が側にいるのにサプライズパーティーを始めたり、他の人はコンビニ弁当で我慢しているのにひとりだけ特上のうな重を頼んだりとか、いろいろ思い浮かびますが、要は集団の和を乱すことです。これは周囲の目を気にする日本人には特に顕著だし、そもそも「空気を読む」という表現が一般的になるのは日本くらいしかないかもしれません。だから、多数派でいることの安心感を捨ててまで「空気の読めない」少数派に転向する人は、しばしば変わり者と見なされてしまうわけです。これは、地震や台風、津波といった数々の自然大災害に毎年襲われる日本列島に生きる者の宿命として、全員で一致団結して事にあたることを是としてきた僕ら日本民族に植え付けられたDNAがそうさせるとの説があるように、日本人として生まれたからには捨てようにも捨てられない感覚なのでしょう。

この映画もそういった「空気」に流されてしまった男性カールの物語です。しかし、日本人が感じる「空気」と決定的に違うのが、ただ単に「場の雰囲気に流されてしまった」ということ。しかも、それを何かの啓示だと勘違いしてしまい、刷り込まれた意思決定回路(つまり、何でも「YES」と答えること)に沿って行動するようになってしまいます。日本人のそれが自然災害に対する集団としての共同生活維持のために発動する思考様式であるのに対し、カールの場合はただ宗教的な会合を通して洗脳されてしまったという個人的な弱さから来たものにすぎないわけです。そのため、悲劇は断続的かつ一過性のもので済みます(映画なのでコメディで済みますが)。

しかし、怖いのは日本人のケースです。『空気の研究』で、「もし日本が破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和の場合の如く『空気』であり、破滅の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、同じように『あのときは、ああせざるを得なかった』と答えるであろう」と指摘されているように、誤った情報に扇動されてしまったら取り返しがつかないことになるのです。一度固まってしまった情報は瞬く間に一般世論となり、それは磁石のように少数派を引き込んでいき、いつしか共通概念となってしまいます。その結果、国家が破滅する自体になったとしても、日本人はその理由にさえ気づかず、その失敗を検証することすらできない。映画だったら笑いごとで済みますが、日本は歴史上「空気を読む」精神のせいで何度も同じ過ちを繰り返しているのです。「なんとなく」とか「なりゆきで」とかをよく口にしてしまう人は、何の気なしに亡国の遠因となっていることを自覚すべきだと思います。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です