地下鉄のザジ

(1960年 / フランス)

母に連れられて、初めてパリへとやってきた少女ザジ。しかし、一番楽しみにしていたメトロ(地下鉄)は、ストライキで閉鎖中……。ガブリエル叔父さんの案内でパリ観光に出かけると、エッフェル塔で、蚤の市で、奇妙な大人たちを巻き込んで大騒動を繰り広げる!

子供にとってあこがれの乗り物とは

地下鉄のザジ

田舎生まれの僕にとって東京そのものもそうですが、発達した交通機関にはちょっとした恐怖を持っていました。高速道路なんかは道路の上にまた道路が敷かれているし、地元をかすりもしない新幹線はその発着点となっていてビュンビュン走っているし、地元で時間帯によっては1時間に1本しかないバスは10分おきくらいにしかも定額で運行されているし、電車に限っては路線図を見ても何がなんだかさっぱりわからない。とにかく、東京は世界でも一、二を争う超巨大都市だけに、1500万を超える人口(昼間)、国家の中枢としての官公庁などの重要施設、大企業の本社など、人の移動を容易にするために交通機関の新設、延伸が相次ぐこととなったため、僕のような田舎者には人を飲み込む巨大迷路に思えて仕方なかったわけです。

要するに、僕の地元にはないもの、あっても何もかもが高速かつ大容量で稼働しているため、そのペースについていけず近寄りがたさを感じていたというのが本当のところです。それに、まだ子供だったので、乗り物には強い関心やあこがれを抱いていたものの、その複雑すぎる乗り換えや急行や準急などの列車種別により、きっと親とはぐれて迷子になってしまうだろうと怖気づいていたってこともあります。その後、東京に住むようになって都内の交通機関に対する恐怖はさすがになくなりましたが、それでもいつも使っている路線以外はどうしても敬遠してしまうし、たとえ利用するにしても目的地まで乗り過ごさないよう緊張感に苛まれてしまい、快適な列車の旅とはならないことがほとんどです。また、ピーク時には2、3分に1本という便利さが焦りや圧迫感を生じさせる原因となり、ストレスを感じてしまうことがあったりします。

そんな中で、地下鉄は特別な存在でした。まず僕の地元には当然のこととしてありません。県庁所在地にもありません。東京と接している一部の地区では走ってはいますが、そのほとんどの部分が地上を走っているため、純粋にうちの県には地下鉄があるとは言えないという現実です。そうしたテレビの映像でしか見ることのなかった地下鉄に親近感を感じるはずもなく、逆に狭く暗い空間に大勢の人がホームで列車待ちで並んでいて、これまた狭い列車に詰め込まれて漆黒の空間に消えていくという映像を見せられると、もう恐怖どころではありません。地下鉄とは交通機関の一種ではなく三途の川を渡るための渡し船であり、利用する人たちというのは地獄育の切符を握りしめた罪人に思えてなりませんでした。そのため、僕は大学受験の下見でひとりで東京に行った時、地下鉄で一番早く行けるころをわざわざ電車で迂回していたものです(単に地下鉄の乗り方がわからなかったという理由もありますが)。

一方、この映画の主人公ザジは、都会(パリ)の地下鉄に乗りたくて仕方なかった女の子です。ストライキで地下鉄前線が封鎖されていたため、ザジはフラストレーションのはけ口として、ありとあらゆるイタズラをして鬱憤を晴らしていきます。その程度は、ザジがよほど地下鉄に乗りたかったということが理解できるくらい、ハチャメチャで支離滅裂です。昔の映画はこういうので大ヒットしてたんだなという感慨は別としても、子供が示す、期待していたことに対するガッカリ感の裏返しを映像としてよく表現できているなと感じました。

もし僕がザジと同じくらいの年齡の時(12歳くらい?)に地下鉄にひとりで乗るとなったらどういう感情を抱いただろうか。相当躊躇していたことは確実で、むしろストライキで止まっていてくれてよかったと思ったかもしれません。


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