50回目のファースト・キス
(2004年 / アメリカ)交通事故に遭って以来、“前日のことをすべて忘れてしまう”という短期記憶喪失障害を抱えているルーシー。そんな彼女に、水族館で獣医として働くヘンリーが一目惚れし、愛を告白し続ける。毎日がやり直しの恋。少しずつ進展していくと思われた二人の関係だったが、ルーシーは自が愛する人の重荷になると思い、別れることを決意する…。
忘れっぽさの効用
僕は物忘れが激しいほうです。何かがひらめいたらその瞬間に忘れるというのはしょっちゅうで、これをやろうと決めてからちょっと集中を途切らせるともうその途端に忘れています。物忘れというより、記憶や考えが吹っ飛ぶというニュアンスが近いです。歯磨きとか着替えとか日常的なルーティーンなら体が覚えているから問題ないと言いたいところですが、それでもふとした瞬間に記憶が飛びます。特に、髪の毛を洗っているとき、あれシャンプーしたっけコンディショナーやったっけ、ってなることがしばしばあります。
真剣に記憶しておく努力が足りない、もしくは気負わずリラックスしていれば大丈夫、というアドバイスを受けることがありますが、残念ながらそのどちらも奏功したことはありません。真面目に覚えておこうと集中すればするほど記憶が溶けていくように消えていき、リラックスしたらしたでまるで水に流したように自然と頭の中から零れ落ちていきます。こんな感じではあるのですが、忘れることのほとんどが大して重要でないことなので、生活に支障をきたすということはありません。反対に絶対大事なことはよく記憶できているほうです。
人間の記憶力なんて限界があるわけだし、頭のなかでは、ひっきりなしに生まれ出るデータを取捨選択して適切な領域に保管しようとしてくれているわけだから、むしろ僕は健全なほうなのかもしれない。ただそれでも、「あ、これ面白い」と思ったアイデアをさらりと忘れてしまうとすごくもったいない気持ちになるし、せっかくメモできてもメモしたこと自体をきれいさっぱり忘れてしまっていたりすると激しい自己嫌悪に陥ります。「俺ってバカなんじゃないか」って本気で思います。だからなるべく、付箋やメモ帳を持ち歩いたりして、記憶するという行為を意識づけようとはしているのですが、そうすると逆に覚えておくべきことが見つかりづらくなる。自分自身が何をしたいのかよくわからなくなることが往々にしてあります。
さて、この映画のヒロインは、事故で記憶の機能が損なわれ、寝てしまうとその日一日あったことすべてを忘れてしまうという障害を抱えています。事故以前にあったことは覚えているのですが、事故以後の記憶はその日一日きりなのです。そんな彼女に見初めた主人公は何とかして彼女に記憶してもらおうとあの手この手を尽くしますが、効果なし。ようやく光明が見いだせたと思いきや、彼女が自分の障害のことを知りパニックになる。ですが、主人公は彼女との間につながる、ある接点を見出していくという話です。
忘れっぽい僕ですが、それでも一日の中で絶対に忘れない一連の動作があります。それは、朝起きてトイレに入って顔を洗い髭を剃るというルーティーン。さすがに物心ついたことから続けている動作は忘れようもなく、寝ぼけ眼で何も考えていなくてもいつの間にか体が動いています。頭が冴えている夜のルーティーンは忘れっぽくなってしまいますが朝だけは違うのです。物語はハッピーエンドでしたが、ふたりはこれから毎日のルーティーンを通して、少しずつ共有できる記憶を積み重ねていくのでしょう。それにしても、恋人同士の間では、ふたりの思い出をバッチリ覚えているよりは、互いに多少忘れっぽいほうがいいのかもしれませんね。