再会の街で
(2007年 / アメリカ)家族、仕事に恵まれた歯科医アランは、ある日大学時代のルームメートチャーリーと偶然街で再会する。友人の学生の頃とあまりにも変貌した姿に愕然とするアラン。チャーリーは9.11の飛行機テロで家族を亡くし一人心を閉ざしていたのだ。アランはチャーリーの心を開こうと努力するが・・・。
嫌な記憶と和解するには
嫌なことは誰だってすぐに忘れてしまいたいと考えるものです。その度合が深ければ深いほど簡単に忘れ去ることなどできず、いつまでも脳裏にこびりついて後々まで悪影響を及ぼし続けます。かなり昔の出来事で完全に綺麗さっぱり忘れたものと思い込んでいたことでさえ、何かの拍子に突然思い起こされることもあり、まるでヘビに睨まれたカエルのごとく戦慄で全身が動かなくなったり、体中の骨という骨が強力な酸で溶かされてしまったかのような脱力感に苛まれることもあります。「くよくよ悩むなよ」と励まされたところで、神に近づいた人でない限り、人間は自分で記憶をコントロールすることができないため気休めにしかなりません。事故に巻き込まれたりしたことがふと頭に甦り不安な気持ちになる急性ストレス障害や、時間が経っても消えない心的外傷後ストレス障害(PTSD)などになると、「くよくよ悩むなよ」が気休めどころか大変な侮辱に感じ取られてしまうでしょう。
ですが、そうした記憶をある程度コントロールすることはできます。記憶というのは実に不安定で、一生懸命に覚えておこうと思わなければすぐに消えてしまうもの。これがキーポイントです。嫌な記憶を消すためのアプローチはふたつとのことで、まずひとつ目は「ネガティブからプラスへと思考を変えること」。嫌な記憶を溜め込んだり持ち込んだりするネガティブな態度ではストレスが溜まったり鬱になるだけなので、プラス思考、つまり自己受容することのできる性格を心掛け、過去のことは過去のことと割りきり、楽しいことやいまやるべきことを考える癖をつけるというもの。ふたつ目は、「記憶の映像(あるいは)をデリートすること」。嫌なことはたいてい鮮明に記憶しているもので、これを白黒にし、ぼかしを入れ、どんどん原型を留めないほどに不鮮明にしていって最終的にはケシ粒のごとく吹き飛ばしてしまえというもの。なんか「くよくよ悩むなよ」で済まされた感じがしますが、実際こうした方法が嫌な記憶を忘れ去るには最も効果的だとのことです。
ただ、この方法が順調に機能してくれれば言うことありません。怖いのは、押し込めた嫌な記憶を忘れようと努力している最中、そうでなくとも完全に忘れたと思い込んでいた状態で、ふと思い出してしまってパニックになってしまうことがあり得るのです。これを「フラッシュバック」と呼び、過去の出来事や体験による感情や情動が突然甦ることで、何らかの身体反応が引き起こされます。過呼吸症候群や失神、激しい動悸、言語障害などがその症例で、前述したように、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害に悩まされている人に顕著。このように、心の闇が深ければ深いほど、克服するには大変な労力とリスクが払われねばならないのですが、乗り越えねばならない壁であるだけに、嫌な記憶と向き合うには「くよくよ悩むなよ」のひと言で解決するはずがなく、長期間どっしり腰を据えて取り組まねばならない試練であるわけです。
この映画は、歯科医として将来を嘱望され、幸せな家庭を築き、何ひとつ不自由なく生活していたチャーリーが、大学のルームメート・アランと再会する物語。街中でふとチャーリーを目にしたアランは、懐かしさで彼を呼び止めますが、大学時代の記憶はほとんどなく、人格も別人のようになってしまっていたことを訝ります。それもそのはず、チャーリーは9.11のテロで妻と娘3人を失っていて、そのショックで音楽やゲームだけしか興味を払わない世捨て人のような生活をしていたのです。チャーリーは心の奥底に押し隠した辛い記憶にずっと蓋をしてきていて、それを開けようとする可能性のある(幸せだった頃の過去を知っている)人との接触を拒んできました。そんな中、大学卒業後連絡の途絶えていたアランと再会。チャーリーはアランを“安全な人物”としながらも、次第に忘れかけていた人と人との温かい触れ合いを思い出していくとともに、開けてはいけない禁断の記憶の扉にも手をかけられつつあったのです。
残しておきたい大切な記憶が、いつしか思い出したくない悪夢に変貌してしまうことだってあります。そのきっかけというのが、9.11に代表される強烈なインパクトであるわけですが、ほんのちょっとした些細なことだって記憶のチャンネルを簡単に変えてしまう力を持ちます。ただ、もちろんこうした外的要因によって記憶が左右されることは避けられないことではありますが、やはり内的要因、つまり心の持ちようも大きく影響してくるはず。「くよくよ悩むなよ」は他人から言ってもらうのではなく、自分自身にこそ言い聞かせなければならないことじゃないかなと思います。