ロスト・メモリー

(2012年 / ドイツ)

親友同士のハンナとクラリッサは、毎年夏のバカンスを両親と共に小さな島で過ごしていた。それから25年後、連絡が途絶えていたふたりは思わぬ形で再会する。しかし、島はどこか不気味な雰囲気が漂っていた。

人間の業(カルマ)は一度で終わらない

マーケティング手法としてよく知られているものに、「返報性の原理」というのがあります。返報性とは、他人から何らかの施しを受けた場合にお返しをしなければならないという感情を抱く心理のことで、マーケティングではターゲットに小さな貸しを与えることで大きな見返りを得るテクニックとして活用されているのです。たとえば、電気屋にパソコンの下見に行ったものの対応してくれた店員が非常に丁寧にアドバイスしてくれたので他店とも比較するつもりだったけど思わずその場で購入してしまったケース、駅前で声をかけられ先に粗品を手渡されたため何となく話だけ聞きに付いていってしまったケースなどが、その例としてよく挙げられます。ただ、これらは純粋に営業のテクニックとして利用される反面、詐欺や催眠商法、悪徳宗教の勧誘などで悪用されるケースもあることも留意しておかなければなりません。

このように、返報性の原理とは自分が意図したことをターゲットの心理に訴えかけて大きな見返りを求めることですが、それとは逆に、意図しなかったことがターゲットから復讐という形で返ってくることもあります。このケースの特徴として、復讐を受ける本人は、ターゲットに何らかの影響を与えたことに気づかず忘れていることがほとんどだということ。ターゲットに対する仕打ちがどんなに残忍で酷悪なものであったとしても、やった本人というのは冗談とかじゃれ合いとしか認識していないのです。しかし、されたほうの側、つまりターゲットはずっと記憶している。復讐のタイミングが到来するまでじっと耐え忍び、千載一遇の好機と見るや電光石火の速さで行動に移す。これを指して「カルマの法則」と言い表されるのをよく聞きます。

カルマの法則とは、自分がしたことは良くも悪くも必ず自分に返ってくるという真理です。日本では悪いことがまわり回って戻ってくるという負のニュアンスで用いられることが多いですが、そもそも「カルマ」とはサンスクリット語で「行い」や「業(ごう)」と意味する日常的な言葉で、人間が生きていく上で必ず伴う一般的な行為を表しているだけにすぎません。しかし、だからこそ真理を突いているのです。つまり、人間がなした行為、それが善意でも悪意でも、意図的でも無意識的でも、誰かに大なり小なり影響を与えていて、それがめぐりめぐって自分のところに戻ってくるのです。それが報恩となるか、または復讐となるかは、ひとえにその人の言動ひとつにかかっています。したがって、カルマの法則とは、必ずしも呪いだとか応報だとか負のイメージに支配された真理というわけではありません。

ですが、この映画を全編にわたって彩っているのは「負のカルマ」です。その源となったのは主人公のハンナが幼いころ、親友のクラリッサとともに見殺しにしてしまった少女マリアの存在。ですが、マリアが直接ハンナに復讐をするという流れではなく、ハンナが取った行動がクラリッサに重度のトラウマを植え付けてしまいクラリッサに精神疾患と戦う人生を強要してしまったことがカギとなっています。その事件以来、クラリッサと疎遠になっていたハンナは自らが強いた現実を知りませんでした。怖いのは、人生をメチャメチャにされたことに対する報復であることもそうなのですが、それが次から次へと伝播すること。返報であれば一度の行為に対して一度の返礼で済むはずですが、人間は他人から影響を受けたり与えたりしながら共同生活を送っていく生き物であるため、人生の業は尽きることがないのです。

いまこうやって何気なく生活している僕も、まったくあずかり知らないところで誰かから恨みを買われ、復讐心を持たれていたとしたら。つまり、僕自身のカルマがめぐりめぐって悪い形で戻って来ようとしているとしたら。こう意識すると、怖いというより、人間の最も不可侵な領域に触れてしまったようで慄然とせずにはいられません。


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