プロデューサーズ

(2005年 / アメリカ)

元売れっ子プロデューサーのマックスが企画するミュージカルはコケてばかり。ある日、会計士のレオは舞台を失敗させることで大儲けする方法を思いつく。かくして二人は、ブロードウェイで最高に儲かるチャンスを得るため「最低の脚本」「最低の演出家」「最低の役者」を探しはじめる。

仇敵を笑う者の正体

この映画の可笑しいところは、出資金を募るだけ募っておいて、舞台を大コケさせて1日で打ち切りとし、あとは経理上の操作で差額をせしめようと企むことにあります。ヘボプロデューサーのマックスは、その案を思いついた会計士のレオを新たなプロデューサーとして起用し、1日で打ち切りとなるほどの最低最悪の舞台を作るための人材を求めて奔走。ナチスに心酔しているドイツ人男性が書いたヒトラー賛美の脚本、ゲイで一癖も二癖もある演出家、美人だけど英語が怪しいスウェーデン女優を軸に据え、舞台初日に向けてスタートを切ります。とは言っても、マックスとレオの魂胆を知る由もない関係者たちは真剣そのもの。一方、マックスは出資者である老女から大金を手にし、レオは乗り気でないながらも初日に備える。やがて、運命の初日がやって来ます。ナチス・ドイツをモチーフにした舞台に、場内は満員だったが顔をしかめ中座する観客も現れ、そのままマックスたちの思惑通りに事が進むかと思われた。しかし……というお話です。

ところで、ナチスをネタにして大笑いできる人たちとはいったいどんなバックグラウンドを持った人たちでしょう。それはどう考えても、かつてナチス・ドイツに国家を蹂躙され家族を殺され、民族としての誇りを著しく傷つけられた人たちだと断言できると思います。つまり、ナチス・ドイツによって国を占領されたポーランドやフランスなどのヨーロッパを中心とした国の住人たちのことです。弱肉強食の支配論理の食い物にされてしまった当時の記憶を持っている人たちなら(または親などから直接伝え聞いた人たちなら)、怒りと侮蔑と怨嗟と憎しみと劣等感から、ネタにされたナチスを大笑いできるでしょう(あることないこと難癖つけて日本を見下す東アジア諸国民のように)。ですが、国を占領される代わりに、民族としての誇りを完膚なきまでに踏みにじられた民族がいます。ユダヤ人です。ナチスによる徹底した迫害で強制収容所に送られたユダヤ人は、強制労働や人体実験に使役され600万人も犠牲になったと言われています。このように、ユダヤ人はナチス・ドイツによって凄惨な記憶を植え付けられています。単純に考えれば、どの民族よりもナチスをコケにして爆笑できるのではないでしょうか。

と、考えるのは僕が教科書レベルでしかナチスとユダヤの関係を知らないからです。この理屈からだと、と言うか一般的な常識からすると、ナチスが悪でユダヤが善となるわけで、強制収容所で餓死したりガス室に送られたりして600万人が犠牲になったと聞けばそれも当然と納得してしまうのは誰も同じだと思います。しかし、なぜユダヤ人が迫害されるに至ったか、現在のユダヤ人はパレスチナ人をどう扱っているかなどを考察してみて総合的に考えることはしません。だからでしょうか。この映画は、「同情されて当然」のユダヤ人がナチス・ドイツの舞台に一喜一憂する姿を、ユダヤ人自身が俯瞰するという体裁が取られています。というのも、この映画の登場人物はすべてユダヤ人です(ドイツ人一人を除く)。芸能業界を牛耳っているユダヤ人が舞台を制作し、ユダヤ人の出資者から大金を調達し、劇場に足を運ぶ余裕のあるユダヤ人から観劇料を徴収する。そして見せているのはユダヤ人ならだれでも怒り狂うであろうナチス・ドイツ賛美の演目なのです。ユダヤ人のジョークの特徴として、ユダヤ人自らをからかったり自虐的に笑いとばしてしまうことがあるようですが、この映画にはもっと深い示唆が含まれているように感じるのは僕だけではないと思いたいです。


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