最強のふたり

(2011年 / フランス)

ひとりは、スラム街出身で無職の黒人青年ドリス。もうひとりは、パリの邸に住む大富豪フィリップ。何もかもが正反対のふたりが、事故で首から下が麻痺したフィリップの介護者選びの面接で出会った。

正反対こそ最強コンビ

僕は、生真面目で面白みのない人間と思われることが多いです。実際そうです。僕自身、それを自覚しています。飲み会でお酒を飲んで騒ぐのが大嫌いで、顔合わせ会であれ忘年会であれ二次会は理由をつけて参加しないし、昼休みに同僚と連れ立って一緒に食事に行くこともないし、仕事の合間に雑談をしてリラックスし合うことが気の利いたことだと思わない。だいいち、冗談を言うことが苦手、というより嫌いです。誰かから僕に面白いことを言ってこようとすると、面倒くさそうに薄笑いしてやり過ごすか、腕を払うようにして振り払います。なぜなら、からかわれているように感じるから。

よくない、とはわかっていますが、どうしても心を開くことができません。もちろん、公の場で不都合を起こすのは賢くないから、自分自身のポジションにヒビが入らないよう、うまくバランスを取ろうとする努力はします。その際、激しく沸き上がってくる感情を抑える必要があるため、なるべく表情を崩さないようにします。氷のような能面づらでやり過ごします。だから、周りから「○○さんって、怖いね」と囁かれることがしばしばあります。そういうのは聞こえないふりして涼しい顔で通すのですが、それがものすごく辛いことであることは言うまでもありません。

なぜ僕がこういう閉鎖的な人間なのかについては伏せておきます。でも、せめて味方がいてくれたらどんなに心が落ち着くだろうとつねづね感じています。同じような性格の者同士という意味ではなく、まるで正反対の性格だけど反目し合うのではなくうまく調和しあって気兼ねなく話し合える仲間。そんな味方がいたら、生活や仕事で不愉快なことがあっても話を聞いてもらって議論するだけでストレスは薄らぐだろうし、そういう味方がいるからこそ仕事でも何でも失敗を恐れず飛び込んでいける。たとえ失敗して上司やお客に怒られようとも、味方がいると思えばこそ強い心を持っていられる。こういう味方がこれまでいなかったわけではありません。僕自身のいつまでも吹っ切れない態度に、彼らのほうから去っていったというのが実情です。

この映画のタイトルは「最強のふたり」。もちろん邦題ではあるのですが、「最強」を冠しているので「無敵コンビ」といった感じのフィーリングピッタリでやりたい放題な友人関係を想像していたのですが、そういうことではありませんでした。たしかに両者の出自、社会的立場、懐具合、趣味、言葉遣いなどは正反対ではありますが、一方は首から下が全身麻痺で孤独な人士、一方は仕事も家庭もメチャメチャな移民。それぞれ苛立ちを抱えています。そんなふたりが「名コンビ」となり得たのは、ふたりが持つ苛立ちのひとつひとつが重なって癒やし合ったというより、互いが互いの中に、これまでに出会ったことのなかった要素を見出したからでしょう。つまり、お互い「君のことをもっと教えてくれ」という好奇心で引かれ合った。こうなったら、たとえ、ふたりで朝まで居酒屋をはしごしなくとも、ふたりで校舎のガラスを叩き割らなくても、ふたりでヤクザの事務所に乗り込んで大暴れしなくとも、「最強」たり得るのでしょう。

僕はまだ間に合うのだろうかという気がしています。幼い頃から学生時代までに至るトラウマを乗り越え、心を開ける時は来るのだろうか。ほんの少しでも飲み会で弾けられる時は来るのだろうか。二次会に付き合う心の余裕が生まれる時は来るのだろうか。この映画でふたりが笑顔を見せ合うようになったきっかけは、互いが互いを気遣って接していたからではなく、悪口を言い合ったりして素のままで接していたことです。それでふたりは、いつの間にか親友になっていました。僕にとって「素のまま」ってなんだろう。「生真面目で面白みのない人間」だろうか。でも、もしかして、そう思い込んでいるから自縄自縛してしまっているのかもしれない。


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