ぼくの大切なともだち

(2006年 / フランス)

フランソワは、自分の誕生日のディナーに集まった全員から「お前の葬式には誰も来ない」と言われ、ショックを受ける。そして反論するうちに、「10日以内に親友を連れてくる」という賭けをする事に。 早速、友人たちにコンタクトを取るフランソワだが、そこで誰も彼を親友だとは思っていない事を思い知る。

親友がくれる人生最高の財産

もうそんな年齡じゃないけど、たとえば僕が誕生日会やクリスマスパーティーを主催するとしたら、いったい誰を招待するのだろうと考えてみました。正直言って、ものすごく悩んでしまいました。これが友だち付き合いのいい人だったら、たくさんいる友だちの中から誰を呼ぼうか悩むのでしょうけど、僕の場合はその反対です。誰を呼んだら快く承諾してくれるのか深く思案するからではなく、そもそも個人的な集まりに打算抜きで呼べる友だちが思い浮かばなかったからです。僕はたとえ顔見知りであっても大勢集まる場所というのはひどく苦痛に感じるたちですし、休日は自分の部屋でまったりしていたいというポリシーがあるので、社交的とはいえない生活を続けても特に支障はなかったわけです。しかし、突然社長命令か何かで「友だち誰かひとり連れてきて」というシチュエーションになったら、ハッと凍りついてしまうことは考えずともわかります。

友だちもそうですが、親友となるともっと難しいです。そもそも、親友の定義とか友だちと親友の境目とかいったものはないに等しいと思うのですが、要するに刎頸の交わりと言ってもいい信頼関係で結ばれた友人関係だということは想像できます。想像できるというのは、僕にもそう呼んでいい友だち、つまり親友として友誼を感じていた人がいたから実感として想起できるということです。単なる茶飲み友だちとは違う、悩んでいることや将来のことを本気で語り合える親友が、僕には「かつて」いたのです。

その彼と知り合ったのは高校生の時でした。気さくだけど思慮分別があり変に目立つことは嫌う彼と、引っ込み思案でどこか達観したところのある僕とは、どういう経緯かうまいこと波長が合い、最初はなんとなく話し友だちでしかなかったのが、いつしか一緒に行動するようになっていました。趣味とか行動範囲、学科の志向など、どちらかと言うと相反するところが多かったですが、共通していたのが「俺は世間の流れに迎合せず自らの道を追求する」という人生観でした。ある意味、求道者的でストイックかもしれませんが、高校生当時、なにかつけ悩んでいた僕が本気で語り合える同級生は彼くらいだったため、「あ、こいつは僕と同じなんだ」という信頼感と安心感は途轍もないものでした。これまで感じることのなかった篤い友情。彼は僕の初めての親友でした。

進学した大学は違いましたが、ちょくちょく遊びがてら会っては、高校時代のように夢や悩みを語り合っていました。僕は漠然と将来のことについて、彼は希望職種と選択学科の相違について、グラスを傾けながら、時に笑い時に眉を険しくしながら語り合う日が週に何日かはあったと記憶しています。大学4年次になると、彼は卒業後の方針を固め動き始めていましたが、僕はいまだ将来の方向性が定まらず右往左往する毎日。自然、僕と彼との会話の内容は、彼が前向きなものになったのに対し、僕は消極的で足踏みしたものばかり。自然、僕は彼に会うたび愚痴を聞かせることとなっていたのです。

社会人になってもしばらく彼と連絡を取り合っていましたが、いつしか彼からのメールや電話の返信が途絶えるようになりました。そして、そのまま高校時代から続いていて、篤い友情だと信じていた感情はふっと消えてなくなり、彼とは音信不通の状態のままいまに至っています。原因はわかっています。僕がいつまでたっても同じことをグチグチ言ってばかりで、まったく成長しなかったからです。たしかに、彼の立場になってみれば気が滅入ります。邪険に扱われたとも思ったことでしょう。そんなネガティブで自分にとって精神的に悪影響を及ぼしかねない僕を「親友」だなんて呼べるわけがありません。だから彼は僕を切ったのです。当然のことです。当時はかなり落ち込みましたが、彼が取った選択は間違っていなかったと思います。むしろ、そうすることで、僕に最大限の気づきをあたえてくれ、少しでも自分を変える努力をするきっかけとなったのですから。でも、やはり失ったものはあまりに大きかった。

だから、僕はこの映画の主人公フランソワの気持ちがよくわかります。仕事で知り合った知人はいるけど、何気ないことで会いに行ったり、特別な理由はないのに食事に誘ったりできる友だちがいない。いや、そういう友だちはいることにはいるが、会って悩みを打ち明けたり食事しながら思い出話で盛り上がれる、心の底から信頼できる親友がいない。裕福でお金のことは一切心配する必要のないフランソワですが、誕生会参加者のあるひと言をきっかけに、本当に心の拠り所となってくれる親友の存在を必要としていたことに気づくのです。

その後、フランソワはタクシー運転手のブリュノとひょんなことから知り合い、彼の旺盛な社交性に目をつけ友だちをつくる術を学ぼうとします。奮闘するもなかなかうまくいかないのですが、いつしか側にいてサポートしてくれているブリュノこそが信頼できる友だちだと気づくようになります。そんな中、ブリュノは、フランソワがオークションにて高額で手に入れた古代ギリシャ時代の壷の逸話に引っ掛けてこう言います。「そこに溜める涙はあるのか」。親友のために走り、親友のために怒り、そして親友のために泣く。僕にもかつていた親友に対して感じていた友愛の感情を、ブリュノの台詞はいみじくも言い当てていました。その遠い記憶が僕の脳裏に鮮明に蘇り、僕はしばし凍りついてしまいました。

彼はいまどこで何をしているのだろう。この年齢になって「もし」なんて情緒的な言い方はしたくないのですが、もし再会する機会があるとしたら、以前の僕とは違い前向きに人生を考え、それに従って奮闘していることを伝えたい。もう一度親友になってくれるかどうかは、十年以上の歳月が立場も家族も考え方も変えてしまったから難しいでしょう。それでもいい。ただ、もう昔の僕ではないということ、十年前では想像もつかない僕の現在の姿を認めてもらうだけでいい。誕生日会に来てくれなくても、僕とのかつての記憶を共有してくれているという確証が得られるだけで、僕の人生における財産になるのですから。


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