ぼくのエリ 200歳の少女

(2008年 / スウェーデン)

12歳の孤独な少年・オスカーは、隣の家に引越して来た12歳のエリと出会う。同じ頃、街では不可解な失踪や殺人が次々と起き始め…。

スウェーデン人が日焼けしに行く理由とは

今回初めてスウェーデンの映画を見ましたが、まず驚いたのはスウェーデン人の肌が見事なまでに白いということ。白いというより透明度60%くらいの曇りガラスのようであり、別の言い方をすれば生気のない青白さという表現もできるかと思います。雪の白さが肌の色より濃く見えたほどですから。では、なぜスウェーデン人の肌は透き通るように美しいのか。これは単純に、スウェーデンは高緯度に位置し年間を通じて日照時間が少ないということにあり、1日あたり平均でわずか35分間の月もあるほど太陽と疎遠な国だからです。

アフリカで発生した人類は定住した先の土地の気候に体を順応させてきたという経緯があり、赤道に近く紫外線が強い土地を選んだ者たちは吸収を避けるため肌の色を黒くし、逆にスカンジナビア半島など日照時間が少ない地域に移住した者たちは日光の吸収を多くするために肌を白くしたとのことです。こうした事情により、スウェーデン人の肌が限りなく白いというのも頷けます。それで、スウェーデンに限らず太陽光に乏しい地域の住人は「色が白すぎて病的に見える」ことにコンプレックスがあり、よくバカンスでトルコやギリシャなどに肌を焼きに行くとのこと。ただ、これにより、スウェーデンでは皮膚がん発生率が非常に高くなっているそうです。日差しの強いオーストラリアに入植した白人が皮膚がんで死亡するケースが多かった(現在も多い)ことと関連して考えねばなりません。

この映画はまさに「白い」です。いきなり超色白の少年がパンツ一丁で登場するシーンから始まり、地面や道路、建物は雪で覆われ、子供に限らず道行く大人たちの肌も白い。その白一色の中で、圧倒的な存在感を見せつけてくる色があります。それが「赤」。生気の感じられない白の中で、躍動する生命を表現する赤が鮮烈なイメージとともにぶちまけられます。赤、つまり血液は、文字通り生きている人間から迸るのです。

スウェーデン人のことを悪く言うつもりはありませんが、僕はこの映画を観ながら、主人公を含めた登場人物たちが生きているという気がしませんでした。だって、すべて白い。血が通っているようには見えない白さに包まれた彼らが、そのまま雪の中に溶け込んでしまうかのよう。まるで死の世界を描いているかのように思えました。そんな中で、ヴァンパイアが颯爽と登場して人の首筋に噛みついて生き血を吸う。吸い終わった後、口の周りが真っ赤になっているのを見ると、生きているのは、つまり人間らしいのはむしろヴァンパイアのほうじゃないかという気にさせられました。

もしかしたら、スウェーデン人はヴァンパイアに噛み付かれないようにするため、体を焼いて生命力を誇示する目的で日焼けしに行くのでは、なんて考えてしまいました。


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