スリーデイズ
(2010年 / アメリカ)ある朝、大学教授ジョンの家に警察が侵入、殺人の容疑で妻のララは逮捕されてしまう。裁判では彼女に不利な証拠が提出され、覆ることなく遂に殺人罪は確定する。ジョンは彼女の人生と家族の幸せを取り戻すため、綿密な脱獄計画を練り上げていく。チャンスは1度。ララ移送までのわずか3日。
冤罪事件は他人事ではない
まったく身に覚えがないのにも関わらず事件の容疑者として拘束され、ろくな裏付けも取らず乏しい情況証拠だけで犯人と断定されるケースが多々あります。これまで善良な生活を送っていた無実の市民がいきなり犯罪者される場合、テレビなどでは「誤認逮捕」あるいは「冤罪」として混同して報道されますが、そもそも両者は異なる用語です。誤認逮捕は、逮捕行為の対象を誤った場合に使われる用語で有罪か否かは未決の状態。冤罪は、無実であるのに起訴され有罪判決を受けた場合のことを指し、必ずしも逮捕は要しないとのことです。ともあれ、無実の罪でしょっぴかれる側にとってみれば、これほど怖ろしいことはありません。奈落の底へ突き落とされるとはまさにこのことと言えるでしょう。
最近、1966年に静岡で起きた強盗殺人放火事件で死刑囚となった袴田巌氏の再審開始が決定したという報道がありました。この事件は、味噌製造会社専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺死体が発見され、元従業員の袴田氏が強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕されたというものです。裁判で死刑判決が下ったものの、警察の取り調べや裁判での審理において疑問点が多いため、冤罪の可能性が高いと言われていました。再審といえば、冤罪事件で再審が行われ無罪が確定した足利事件が記憶に新しいですが、死刑執行後に再審請求がなされた飯塚事件もあり、冤罪で人生を台無しにされたり刑務所で一生を終える運命を背負わされたりした悔しさは死んでも死にきれないものがあると推察できます。
なぜこういった冤罪が起こってしまうのかですが、密室で自白を強要する激烈な取り調べ、長時間に及び苦痛を伴う勾留、一時的に自白したとしても判決はすぐ覆るという被告側の現実感のなさなど、いろいろあるようですが、結果的に言えることは「一度認めたら覆らない」ということ。誤認逮捕の例でも警察はしぶしぶ頭を下げるほど。法廷での決定は日本の司法の威信がかかっているわけですから、そう簡単に間違いでしたなどとは言えないのでしょう。
さて、この映画は無実の罪を着せられ、幸福だった家族がズタズタに引き裂かれるという話です。殺人事件が起きた夜、主人公の妻は偶然その場に居合わせ、真犯人から被害者の血を付けられ、しかもその被害者とは犬猿の仲だったということで、警察に連行されました。犯人とするに有力な情況証拠が揃っているため裁判でも負け続きで、もうこれ以上勝ち目はなく何十年にわたって刑務所暮らしとなることが確実になりつつありました。もう法廷で妻を取り戻すことはできない。そこで、教師である夫はこれまで無縁だった裏社会と接触し、妻を脱獄させるための計画を始めるのです。
脱獄というアウトローな手段でしか妻を、家族を取り戻すことができず、亡命という高飛びをしなくては一生生きていけなくなる。本来、司法とは国民の正義を保証し、国民の敵を悪と断罪する機関である一方、その無実の国民の生活をメチャメチャにし自由を奪う力も持っている。人間が人間を裁く、人間が人間の真贋を見抜くことは不可能なことなのかもしれませんが、司法すら信頼できなくなってしまったらその国の秩序は著しく損なわれることとなります。僕自身もいつ無実の罪で連行されるかわかりません。だからと言って神経質になりたくはありませんが、テレビで連日報道される冤罪事件は他人事でないということをつねに意識しておきたいです。