Mr.&Mrs.スミス

(2005年 / アメリカ)

南米コロンビアの首都で劇的な出会いをしたジョンとジェーンは結婚を。だが実は双方とも本業はプロの暗殺者。任務で同じターゲットを標的にした2人は、互いの素性を知って唖然。だが正体がバレたからには48時間以内に相手を始末するのがルール。そこで2人は互いを仕留めようとして……。

せめて犬も食らいつく夫婦喧嘩を

夫婦喧嘩のよくある原因として、「言葉使いや物言い」「生活態度」「家事」「金銭」などがあげられるそうです。これは別に夫婦に限らず、家族や恋人、また友人の間においてもあり得ることではありますが、やはり、まったくの赤の他人同士が法律上固く結ばれた関係となった夫婦の場合では、様相を異にするわけです。僕は独身なので実感ではなく想像でしか言えませんが、恋人や友人という関係と比べて、世間の視線がまったく別のものになるのではないでしょうか。それは客観的にもそうだろうし、当人同士においてもそうした意識というのは持っているはずだと思います。だから、友人や恋人同士で「ばか」とか「あほ」とかふざけて言い合ったりできても、夫婦間ではそうはいかない。たとえ当人同士ふざけあっていることを共有していたとしても、僕ら他人から見ると、修羅場といいますか、実に痛々しく見えてしまいます。デパートやスーパーの中とかで、夫婦同士で口論しているのに出くわすと、誰だって彼らを避けて通るのは当然のことでしょう。

夫婦の間には、夫はちゃんと仕事して稼いでくるのが当たり前、妻は家事を完璧にこなして当たり前という一般的な認識は現代においても生きています。ひと昔前と比べて社会環境が大きく変わり、男性が家にいて家事をこなしたり(いわゆる主夫)、女性が結婚後も企業戦士としてバリバリ働いたり、夫婦の役割が逆転しているケースもあります。また、そうでなくとも、女性は結婚したら会社を辞めて家事に専念するという常識が薄れてきている(特に東京などの大都会において)ので、夫としては妻と家事を分担することに理解を示せなかったり、妻としては夫が家事に非協力的であることに不満を持つようになってきているのです。そもそも、結婚する前の段階で当人同士ではっきりと取り決めておけば、関係がぎくしゃくすることは避けられるのでしょうが、たとえそうしたとしても互いに不満やストレスを感じることは起こり得ます。結局のところ、夫婦という間柄であるからこそ、自分の主張を直線的に相手にぶつけてしまうということになるのでしょう。

これに対し、夫婦円満になるためには何が必要なのでしょうか。それは「会話」「思いやり」「感謝の気持ち」「適度な距離感」などだそうです。要するに、冷え切った夫婦や夫婦喧嘩の絶えない家庭というのは、普段から会話が極端に少なくなっているということ。そのため、不満があると些細なことで喧嘩になる。今度はそれが嫌になって不満があると溜め込むようになってしまう。そして最終的に爆発してしまうという悪循環が生まれてしまうわけです。普段から不満をため込まず、しっかりとコミュニケーションを図ること。言うのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しい。このように実感している夫婦というのは、結構いるのではないでしょうか。

そういった意味で、この映画の主役であるスミス夫妻は、見事にコミュニケーションによって互いの理解を深め合ったと言えると思います。まぁ、そのために銃で撃ち合ったり、手榴弾の応酬があったり、肉弾戦で殴り合ったりするわけですが、結果的に、互いがどういう素性を持った人間だったのかを知り、わかり合うことができたのです。その代償として、互いの肉体は傷だらけになり、家はメチャクチャに破壊されることになりましたが、夫婦の間に芽生えた「信頼」は何よりも固いものとなったのですから、それこそ結果オーライなのではないでしょうか。

雨降って地固まると言ったら聞こえはいいですが、本来であれば、恋人の時から互いを十分わかったうえで結婚すればよいはずです。しかし、そんなのは理想でしかありません。さすがに、流血や骨折をするくらい殴り合えとか、住んでいるところを徹底的に破壊しろとは言いませんが、夫婦喧嘩するんだったら実のある喧嘩をしろと言いたいです。大声出し合っても物を投げてもいいいけど、ちゃんと「互いを理解する」という前提で喧嘩してください。もちろん、周りに迷惑かけないということは絶対条件ですが。


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