セブン・イヤーズ・イン・チベット

(1997年 / アメリカ)

1939年秋、登山家ハインリッヒ・ハラーは世界最高峰ヒマラヤ山脈への登山に向かった。時悪く、第二次世界大戦のためにインドでイギリス軍の捕虜となってしまった彼は脱獄し、チベットへと行き着く。

多面化された情報の裏にある現実を見失うな

ヒマラヤ山脈の北側に広がる、平均海抜4,500mのチベット高原。「世界の屋根」と呼ばれるその高原地帯では、牧畜や農耕をなりわいとし、主に仏教を信仰するチベット人が600万人ほど暮らしています。そこには「チベット」という独立国家が存在していました。しかし、現在、国家としてのチベットは存在しません。1950年秋、成立間もない中華人民共和国は、チベット東部チャムド地区への攻撃を皮切りに、本格的な侵攻を開始。2万とも4万とも言われる人民解放軍は、瞬く間に首都ラサを包囲。1951年、北京での会議の後、チベット解放17箇条協定の調印が行われ、チベットは無血状態で中国共産党の支配下に。以後、1959年のチベット蜂起(反中国・反共産主義の民衆暴動、8万人以上のチベット人が死亡したと言われる)、また2008年の北京五輪を前にしたチベット騒乱は記憶に新しいことと思います。

形式上は「自治区」という扱いですが、中国政府のチベット支配を見てみるとそれが「自治」ではなく「抑圧」であることがよくわかります。まずチベット人(敢えてこういう表現をします)の人権がまったく顧みられておらず、思想信条を理由に投獄されたり刑務所で拷問されたりマトモな裁判もなしに死刑にされたりします(これはほかの中国内の少数民族も同様)。次に、政府が漢民族系中国人の入植を奨励しており、いわゆる民族浄化政策が行われている。また、社会の上層部は中国人が支配しており、チベット人は教育水準の低さや中国語の能力不足などで不利な扱いを受けている。中国は、仏教国であったチベットの95%以上の僧院を破壊し、多くの僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を持ち去って溶かしました。また、僧院を中心とした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に分配したのです。これを「侵略」と言わずなんと言いましょう。

そんな中、1959年、チベットの精神的指導者であるダライ・ラマ14世がインドに亡命し、北インドのダラムサラにて中央チベット行政府を樹立し、チベットの国家元首に就任。ダライ・ラマ14世は、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと主張し、チベットの将来の地位、またチベット人と中国人との関係について、中国との真剣な話し合いを訴え続けています。こうした姿勢に対し、中国は「ダライ・ラマは祖国分裂をもくろんでいる」と決め付け、チベット側の声をまともに聞こうとしません。あくまでも中国の覇権主義を正当化するためだけの言いがかりを繰り返しているのです。日本を含めた国際社会も、中国という巨大経済市場という旨味を手放したくないだけに、この問題に対しては及び腰になっているのが現実です。

この映画を観る際の切り口は多数あると思います。辺境に開けた異世界を紹介する紀行ものとして観るか、少数民族独特の彩り深い衣装やチベット仏教特有の世界観を味わう教養ものとして観るか、幼き日のダライ・ラマと、この映画の主人公で実在したオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーとの友情ものとして観るか、それともチベットの歴史を伝える実録記として観るか。どこに視点を置いてももちろん構わないのですが、チベットを単なる映画の舞台として観終えてしまうだけのは絶対におかしい。ほんの数年前、「Free Tibet!」を叫んで、聖火ランナーが掲げる火を消そうと立ち上がった人たちがいました。その映像が記憶の片隅にでも残っているのであれば、いまチベットが何が起きているのか無関心でいられるはずがないと僕は考えます。


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