ソルト

(2010年 / アメリカ)

ロシアからやって来た男の告発によって、ロシア大統領暗殺を企てるスパイの疑いを掛けられたCIA分析官・ソルトは、自らの嫌疑を晴らそうと逃亡を図る。

同一人種なら潜入スパイの資格ありなのか

海外に行くことがしばしばあります。アジア諸国ではほぼ間違いなく「日本人デスカ?」と言われるのですが、欧米を中心としたその他の国では「Chinese?」とか「Korean?」と見られることが多いです。典型的な日本人と言われる僕がそうなのですから、他の日本人ならなおさらなのではないでしょうか。あまりいい気持ちはしませんが、考えてみればこれは仕方のないことだと思います。僕自身も海外で日本人を中国人だと見誤るケースがあるだけに、海外で初対面の人の国籍を見分けるのは難しいことです。だから、東洋人が西洋人を総じてアメリカ人と見るのに対し、西洋人は東洋人を中国人だと見てしまうわけです。

ひと言で「外国人」と言っても、自分とは違う文化や言語を持った人たちを区別する単位として「人種」と「民族」が用いられます。人種は身体の特徴を生物学的な相違に基づいて区分した集団のことで、民族は一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体のこと。よって、人種は違っても同じ民族を構成するということがあり得ます。人種は大きくコーカソイド(白人)、ネグロイド(黒人)、モンゴロイド(アジア人)に分けられ、それぞれの下に各民族が分岐しています。日本人の場合は、人種はモンゴロイド、民族は大和民族です。

人種ならひと目で見分けることができますが、たとえばコーカソイドに該当する人が、ゲルマン系、ラテン系、スラブ系、ケルト系、どの民族なのか当てることはとても難しいことです。目や肌の色、髪質などから大雑把な区別はできるかもしれませんが、文化人類学者か近い民族に属している人でない限り、一瞬で判別することは至難の業。ましてや、国籍になるともう不可能です。僕は日本人だから中国人、韓国人の区別は付きますが、同じモンゴロイドでもカンボジア人とラオス人、ウズベキスタン人とカザフスタン人の区別はできません。それと同じことが、西洋人から東洋人を見る視点でもあるのです。

さて、この映画の主人公はロシア人のスパイ。彼女は子供の頃からスパイとしての情操教育を受けてきて、アメリカのCIAに潜入しながら指令を待つ日々を送っています。そして、ついにその時がやってきて、彼女はアメリカ国内でロシア大統領を暗殺し、ロシアがアメリカを成敗する口実を作るため動き出します。と、ここまでは割とよくある話なのですが、ラストに向けて二転三転しノンストップで疾走していくスピーディーな展開は爽快。スパイとしての使命に目覚めつつも、愛する人や信頼してくれている人をめぐる彼女の心の葛藤を織り交ぜたところは見事でした。

と、ここで気になった点。女主人公のアンジェリーナ・ジョリーはアメリカ人ですがロシア人の役を演じています。劇中でロシア語を話すシーンもあるのですが、それも含めて、僕は彼女がロシア人だったという設定にまったく違和感を持ちませんでした。ロシア人としての身体的特徴や思考方法などさっぱりわかりませんが、ごく自然に、映画の脚本通り彼女はロシア人なんだと思いこまされていました。これが西洋人、特にロシア人の視点だったらどうなのでしょう。「ロシア人はあんな行動はしない」「ロシア人はああいう服は着ない」など、いろいろツッコミどころはあったことでしょう。その一方で、僕ら東洋人は、西洋人ならヨーロッパのどの国の国籍を名乗っても疑いようがないのです。

これは僕の私見ですが、西洋人は東洋人より民族間の交流が盛んなため同化が進み、顔つきや体つきだけでは出自を区別しづらくなっているが、東洋人は割と同一民族内での交流が主なため単一民族を保持できている。だから、こういう映画が作れるのは西洋、特に人種のるつぼであるアメリカならではなんだと思いました。もし僕がアメリカに行って中国人だと押し通しても誰も疑わないでしょうが(入管以外で)、日本映画でロシア人スパイ役を日本人が演じるのは絶対に無理があることなのです。


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