ワールド・ウォーZ
(2013年 / アメリカ)人類を凶暴化させる謎のウイルスが世界中で蔓延し始めた。事態を収束させるべく、元国連捜査官・ジェリーにある任務が下る。怯える家族のそばにいたいという思いと、世界を救わなければならないという使命の狭間で、ジェリーは究極の選択を迫られる。
パニックに陥った人が取る行動とは
たとえば、仕事で電話に対応している時、上司から何時にどこそこでミーティングをするという指示が口頭であったとします。とっさのことだったので急いでメモ用紙とペンを探しますが、どこだったかあちこち見回しても見当たりません。そうこうしているうちにミーティングの時間と場所を忘れてしまい、怖い上司に大目玉を食らってしまう。こうなったら、もう頭の中が真っ白です。記憶することなどできようがなく、ひたすらメモ用紙とペンを探します。なんとか電話を終え一息つくと、探していたものはいつも置いている場所にありました。いつも通り冷静だったらなんてことはないことなのですが、そこにいきなり想定外の事態が発生したら冷静ではいられなくなる。その「想定外」の度合いが大きくなればなるほど、人々は我を忘れて慌てふためくのです。
こういう心理状態をパニックといいます。激しい恐怖や不安によってヒステリックに一斉に逃げだしたり、あるいは右往左往するような混乱状況のこと。なお、やることが多すぎて投げやりになってしまう状態は、その人が整理整頓やスケジューリングができていないという個人的な問題であるので省きます。ここで言いたいのは群衆心理です。これはネズミを用いた実験でもわかるように、カゴの出口を知っているグループと知らないグループを一緒に入れて下から熱すると、みな我先に逃げようとして互いに押し合いへし合いし、どのネズミも逃げられなくなる。つまり、どんなに知識や経験がある人でも、大災害などの緊急時には複雑なことはできなくなり逃げ惑うことしかできなくなってしまうのです。また、周囲を冷静に見て、自分の行動を的確にコントロールすることもできなくなります。
この映画ではまさにそうした人間のパニック状態を如実に描かれていました。謎のウイルスにより発生した「Z」と呼ばれるゾンビの一群が主人公の住む町を襲撃。目抜き通りはパニックで逃げ回る人たちで溢れかえり、てんでんばらばらの方向に逃げるのであちこちでぶつかり合っています。Zがどこから出てくるのか予測できないという事情もありますが、警察は逃げる人々を指揮することを放棄したため町は完全に無秩序状態です。自分と家族を守るためだけに勝手に人の車を奪い、勝手に人の家を避難場所にし、勝手にスーパーを略奪します。平常時であれば犯罪として罰せられるべきこれらの行為は、非常時においては頭が真っ白になっていても生き残るための手段として正当化されてしまうのです。こういう時の人間の状態とは、白痴というより本能に忠実な原始人といったほうが正しいのかもしれません。
映画は、元国連職員の主人公が、全世界がZに覆い尽くされた惨状を解決すべく請われて任務に当たるというストーリーです。初めは家族と離れたくないため断っていましたが、やがて承諾し、各地を回りながらZの弱点を探りだしていきます。ラストでようやくウイルスを無毒化できるワクチンを見つけ出しますが、いまだZは世界で猛威を振るっており根本的な解決には至らないまま終劇します。
この映画を観ながら、被災地をズタズタにした2つの大災害を思い出しました。ハリケーン・カトリーナと東日本大震災です。双方には避難できる時間があったかなかったかで相違がありますが、前者では取り残された低所得者が食料品店などで略奪をしたり放火やレイプ、救援車両・医薬品輸送車への襲撃などが行われ地域は無法地帯と化したそうです。対して、後者では日本人は略奪や暴動は起こさず秩序だった行動をし、食料配給にはきちんと並んで受け取っていたという事実があります(もちろん略奪や窃盗などがなかったわけではありません)。同じパニック状態に陥ったとしても、個人は個人のためだけに動くのか、それとも集団のことを考えて個人の欲は我慢するのか。映画でZ襲撃の舞台は主にアメリカでしたが、これがもし日本だったら別の描き方になっていたのではと思いました。