ザ・コール 緊急通報指令室

(2013年 / アメリカ)

911緊急通報指令室のベテラン・オペレーター、ジョーダン(ハル・ベリー)は、命を救うため一般市民が抱える問題に電話越しに指示を出す仕事に就いていた。しかし、ある若い女性からの不法侵入者の通報が悲劇的な結末に終わり、ジョーダンは悲嘆に暮れる。

日々のコミュニケーションは何より大事

幸いなことに、僕はこれまで110番をしたことがありません。「幸い」というのは、言うまでもなく、警察を呼ばなければならないほどの緊急事態や犯罪に巻き込まれたことがないということ。単純に平穏無事な一生を送っているという解釈も成り立ちますが、ひとつ間違えるとアウトローに転落するリスキーな挑戦を避けてきたり、周りの目を気にしてできるだけ粛々と身を縮こませながら生きてきたという、消極的で迎合的な人物像も浮かんできますね。たしかにそうです。それに加え、日々忠勤に励んでいる警察官にいらぬ世話を掛けたくないという、ほんのちょっとだけ社会貢献的な意図もあったりします。したがって、110番すると、どういう感じに状況を尋ねられ、どういったアプローチで通報者を落ち着かせるのか、どのように危険度を判断するのかといったことは、さっぱりわかりません。そういえば、大学時代、彼女からのメールが脅迫的だといって警察に通報した友人がいましたが、そんな子供の痴話喧嘩に付き合わされる警察側もさぞかし迷惑だったかと思います。

ただ、これまでそうだったと言っても、ある事態に巻き込まれたら、人生初の110番する日がやって来ます。別に、誕生日やクリスマスみたいに待ち遠しい特別な日だなんて思いませんけど、ひき逃げの現場を目撃したり指名手配犯に似ている人を見かけたりしたら、僕は迷うことなく110番しなければなりません。たとえ、携帯のバッテリーをキープしておきたかったり、事件との間接的な関わりを持ちたくないと思ったとしても、110番しなければなりません。「義務」だからです。市民の安全を脅かす犯罪、事故、陰謀などは、警察だけで排除できるものではなく、市民の協力が不可欠なのです。犯人の潜伏先特定、共謀者による隠匿などは、その地域に住んでいる住民でないと異変を嗅ぎ分けられないということもあり、市民の誰もが関わりを嫌がって通報しなかったら犯罪者は一生野放しのままということになります。だから警察は、どんな小さなことでも110番してくださいと市民に呼びかけます。それは事務的に情報提供を求めているのではなく、たとえ事件解決につながらなかったとしても市民とのコミュニケーションを密にすることがより重要だからです。

この映画はもちろんフィクションですが、ドキュメンタリータッチで描かれているため、とてもリアリティを感じました(終盤は明らかにつくりものとなりますが)。命を狙われている、あるいは命を奪われそうになっている通報者は、パニックになりながらも状況を伝えてくるのですが、割と詳細に伝達し、911番のオペレーターの指示を受け入れます。「落ち着いてください」だけで落ち着くはずはないのですが、彼女たちは名前を教え合ったり好きな映画の話をしたりして信頼感を醸成しているのです。これは映画ですが、実際もそうなのでしょう。お国柄と言ってしまえばそれまでですが、おそらくこうした会話は知らない人同士がコミュニケーションを取る際に同じことをしているのだと思います。そうでなければ、パニックてるほうがあれほど事細かに状況を伝えられるはずがありません。

先にも書いた通り、僕は110番したことがありません。しかし、これは別段褒められたことでも、まして幸いなことでもありません。たまたま事件と関わりを持たなかっただけであって、いつか110番する「義務」を果たさねばならなくなる日が来るのです。その日に僕はきちんと警察とコミュニケーションを取って状況説明できるかどうか。こっちは素人なので、テレビ局のアナウンサーみたいに理路整然と解説する必要なんてありません。でも、普段周りの人とどんなコミュニケーションを取っているかで違ってくるのではないでしょうか。事件の第一目撃者となっても、犯人逮捕につながる重要な目撃談を伝達できなかったとしたら、僕はきっと、大学時代のあの傍若無人な友人と同じことになってしまうかもしれません。


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