Dr.パルナサスの鏡
(2009年 / イギリス)パルナサス博士が率いる旅芸人の一座が街にやってきた。博士の出し物は、人が密かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうで形にして見せる「イマジナリウム」。博士の鏡をくぐりぬけると、そこにはどんな願いも叶う摩訶不思議な迷宮が待っているのだ。
子供の頃の直感を信じよう
豊島園だったかどこだったかは忘れましたが、ジェットコースターやフライングパイレーツ、メリーゴーランドなどの遊園地の花型とも言える乗り物に衆目が集まる一方、僕は鏡の小屋(たしかミラーハウスという名前だったような)が好きでした。中に入ると、鏡だらけで自分の姿が奥行きを持ってあちこちに映っていて面白かったこと以上に、進んでいくにつれ次第にこの狭い部屋の中にいることを忘れ、まったく別の世界に降り立ったような錯覚に陥っていくことに妙な興奮を感じたことを強く覚えています。正常な視覚認識ができず平衡感覚を失うということに恐怖でなく気分を高揚させたということは、その当時僕がまだ幼かったからで説明がつくとは思いますが、いまになって思い返しても共感が湧くのですから、単なる一時的な感覚とは言えないのかもしれません。
大人になり、純粋に遊具を楽しむために遊園地に行く機会はなくなりました。付き合いで仕方なくジェットコースターに乗ることはあっても、落下する際に下腹がそわそわする不快感を得られるほかは、特に楽しいとも感じられなくなりました。鏡の小屋を見かけても素通りするようになりましたし、誰も並んでいないようなアトラクションに時間を費やす価値ないと現実的な視点で切り捨てるようになりました。それでも、雑誌か何かで階段などの騙し絵を見かけると、その自然の摂理からかけ離れた造形に、いつの間にか虜になっていてニヤニヤしながらいつまでも眺めていることがよくあります。子供の頃、鏡の小屋に入って感じた興奮は、おそらくいまでも生き続けているのでしょう。
この映画は、まさに僕の中で消え失せてしまったと思い込んでいた興奮を思いださせてくれる内容でした。1000歳の老人が主催する旅芸人の催し物に、密かに心に隠し持つ欲望の世界を映し出す鏡があります。その中に入ると、まるで夢のような幻想世界が広がっているのです。夢というより想像を超えた世界であり、子供が主人公のおとぎ話の世界です。僕はそうした映像だけを追っていて、ストーリーはほとんど頭に入りませんでした。老人の娘、その娘に恋をしている青年、橋の下で首を釣っていた男との間で、魔法だか記憶だかで衝突し合うのですが、そういったストーリーは話半分で映像のほうだけで満足していました。当然、どういう論理的な結末だったのか頭に入ってないのですが、十分にお腹いっぱいです。
僕は映画に限らず、ミステリー小説やドラマなど、最後まで見て理解できないと非常にストレスが溜まり、もう一回見返すかネットで論評を見まくって真相を探すのですが、今回はあまり理解できなかったにも関わらず満ち足りた気分です。人によっては「なんだこれ、意味わかんねー」と怒りだすのでしょうけど、僕にとっては画面を通して自分まで鏡の中へ入っていったような興奮を得られたことは感動以外の何者でもありません。子供の頃、鏡の小屋に入って味わった興奮と似た感情。人間の直感というのは、大人になっても変わらないものなのだなと感じました。