シティ・オブ・ゴッド

(2002年 / ブラジル)

リオ・デ・ジャネイロにある「シティ・オブ・ゴッド(神の街)」と呼ばれる貧民街を舞台に、3人組の少年ギャングの半生を描く。

ブラジルのおじさん、お元気ですか

僕の親戚に、「ブラジルのおじさん」と呼ばれている人がいます。僕の立場からすると、祖父の弟なので大叔父に当たる人で、その名の通り、ブラジルに渡って永住しているからそう呼ばれているわけです。おじさんがいつ、どのような経緯でブラジルに渡ったのかは知りません。僕が彼の存在を知ったのも小学校中学年か高学年頃のことだったし、会ったのも日本に戻ってきた時に一度か二度くらいなので、仕事で赴任したのか移民として渡ったのかすらわかりません。現地の女性と結婚し、子供も何人かいて(娘さんが日本に遊びに来た時、家族とディズニーランドに連れて行きました)、もうすっかりブラジルに根を生やしている感じでした。また、見せてもらった写真からは生活水準は中級レベルだと思われ、特に不自由していそうには思えませんでした。ブラジルと言ったら、キャプテン翼のロベルトの国というイメージしかなかった幼き日の僕は、ブラジルも日本もそんなに変わらないじゃん、と無邪気に思ったのでした。

その後、おじさんとはまったく疎遠となり、いまに至っています。僕のおじいちゃんが数年前に89歳で亡くなったことを考えると、もしお元気ならかなり高齢なはず。おじいちゃんより結構年が離れてるようなことを聞いた記憶があるので、まだ超高齢というわけではないのかも。それに、ブラジルの平均寿命が73歳(2012年)なので、日本人(おじさんの国籍がどうなってるのかは知りません)の頑健さからすれば、それはゆうにクリアしてるのではないかと。ともあれ、僕はおじさんのことを日系ブラジル人としてではなく、普通に日本人としてブラジルで生活しているんじゃないかなとだけ思っていました。セルジオ越後や与那城ジョージ、田中マルクス闘莉王らは日系ブラジル人2世、3世ですが、おじさんはブラジルで生活している日本人。だから僕は、明治期に渡伯し苦労をした日系ブラジル人とおじさんは違う、とだけいまでも思っています。

だからといって、日系ブラジル人と一緒にしたくない、日系ブラジル人を蔑んでいる、なんてことは一切ありません。おじさんは戦後ブラジルに移り住んだので、いわゆる開拓民として渡ったわけではないという僕なりの認識の区別です。でも、まったく共通していることがあります。おじさんも、日系ブラジル人も、「ブラジルで生活をしている」ということ。ブラジルの治安は、日本と比べてかなり悪いことは言うまでもありません。ブラジル人は基本的に陽気で明るい人が多く、道に迷っていれば助けてくれようとするし、初めての人に対しても長年の友人のように接してくれるそうですが、それはある程度の生活環境を維持できている人たちに限ると考えていいでしょう。貧困に悩む人たち、つまりスラム街の住人はそうはいきません。困っていたら、逆に狙われるでしょう。それはブラジルだけでなく世界のどこでも同じことです。

ブラジルのおじさんはサンパウロに住んでいます。大都市にスラム街は付き物で、それはサンパウロも例外ではありません。おじさんはギャングの襲撃を受けたことがあるのだろうか。おじさんが日系ブラジル人ではなく、ストレートな意味での日本人に見えるからこそ、いまさらながら心配になってきました。この映画を観ながら、ずっとそのことを思っていました。


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