96時間

(2008年 / フランス)

フランスで娘を誘拐された元秘密工作員の父親が、培ったスキルを生かし非情な手段で誘拐犯を追い詰める姿を描く。

個人主義の暴走は止められない

欧米は「個人主義」、日本は「集団主義」だと言われます。これはもちろん傾向としてでありますが、個々人の差異はあれど、その民族を貫く一本の筋としては間違っていないと思います。思うままに行動できるが責任はその個人が負う「個人主義」に対し、家や会社、学校などの単位で行動し責任は全員で負う「集団主義」。たしかに、欧米人は自分の意見をはっきり主張し自分自身をプロデュースしている印象があり、日本人は何かを決める時「どうしよう、こうしよう」と仲間で寄り集まって相談する傾向はつとに感じているので、この件は一般論と考えてよいと思います。また、それぞれのイメージを熟語で表してみても、欧米人が「独創性」「即断即決」「自己中心的」で、日本人が「結束力」「絆」「優柔不断」などとなるので、単純に「個人」か「集団」かで分けて問題ないでしょう。

この個人主義と集団主義ですが、それぞれ相容れない行動を是とする行動様式なので、互いに共存し得ないのではないかと考えてしまいます。まず個人主義はあくまでも個人を尊重するので、集団主義の側からは利己主義としか見えず、仲間全員のメンツを潰した、家の名を汚したと非難される対象となります。反対に、集団主義は自分個人の意見を先送りするので、個人主義の側からは裏で何か謀略でも練っているのではないかと疑われ距離を置かれることになります。どちらがいい悪いの話ではないのですが、現代の国際社会では欧米流がスタンダードになっているので、日本の集団主義が通用するのは日本国内だけだとしっかり認識しておかないと、海外に出て総スカンを食らうという事態になってしまいます。

さて、この映画の主人公は、我々集団主義の側の人間からしてみたら眉を吊り上げざるを得ない男です。個人主義は個人主義でも自由である面を最大限に押し広げた、つまり「自己チュー」全開。彼は元工作員という経歴はあれど警察でも情報員でも何でもないただの中年男性なのですが、人が迷惑に感じることを平気で強行し、しかもやればやりっぱなしで完全放置。駐車中の車を盗み、怪しい匂いのする方向へと、たったひとりで突っ走ります。パリで誘拐された娘を救うために。とまぁ、欧米のアクション映画は押しなべてこんな感じなのですが、特に国家機関に所属していない一般人が娘を助け出すために身勝手でハチャメチャな行動を取るのは、名目上でも国家のため国民のためという集団主義に基づいたアイデアが欠片もないため、何かひっかるものを感じてしまいます。しかも、脚本が荒削りでところどころ「おいおい、それでいいのかよ」とツッコミを入れたくなってしまうのですからなおさらです。

ですが、個人主義一辺倒というわけではありません。主人公の対比として、彼の知り合いのフランス人男性が出てくるのですが、彼は国家機関の管理職という役職に就いているので、主人公のハチャメチャぶりが煙たくて仕方ありません。主人公とどのような間柄だったのか詳しくは触れられていないのですが、もし管理職じゃなかったら協力するようなニュアンスだったので、もともと一緒に組んで仕事をしていたのではないかと想像できます。しかし、彼は主人公を止めることはできず、主人公に妻を拳銃で撃たれたうえ、拳銃を突きつけられ重要情報をリークさせられてしまいます。組織の人間に徹するという意味の集団主義が、個人主義に蹴散らされたのです。瞬間的に「半沢直樹」を思い出しましたが、個人主義の暴走はエンターテイメントだからこそ生きるということを教えられたような気がしました。


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