エクスペンダブルズ2

(2012年 / アメリカ)

自らを消耗品と名乗る最強無敵の傭兵軍団エクスペンダブルズ。彼らの今回の仕事は、バルカン半島アルバニア領の山脈に墜落した輸送機に積まれていたデータボックスの回収。だが、軍団は邪悪で残忍な指導者ヴィラン率いる謎の武装組織の罠にはまり、データを奪われ、一人の仲間が命を失ってしまう。

コンセプトなしの名曲集

コンピレーションアルバムと分類されるCDアルバムがあります。代表的なものとして「NOWシリーズ」「MAXシリーズ」と言えば、あぁ、あれねと頷いてもらえると思います。要するに流行りの歌を集めたアルバムのことですが、単に人気の曲ばかりを鷲掴み的に編集したものだけでなく、バラードやダンス、ユーロビート、ヒーリングなど、特定のジャンルに沿ってまとめたものもあり、そのいいとこ取りのコンセプトが高付加価値感とお得感を呼び、爆発的に売れたことは記憶に新しいです。たしか僕も、学生時代、何というシリーズかは忘れましたが、洋楽のコンピレーションアルバムを毎年買っていました。洋楽ことなどほとんどわからず、街中やラジオなどでよく耳にするヒット曲だけ自分のものにできれば満足だったため、気になった曲の歌い手の名前を調べる必要が省けることは僕にとって非常に都合が良かったのです。購入する前に知っていたのは4、5曲といったところでしたが、ひと通りCDを流して聴いていくと「あ、これ知ってる」という曲にも巡り合えたりできることも大変なメリットでした。

ただ、こうしたコンピレーションアルバムを買うにしても、「なんか邪道だな」という後ろめたさはつねに付いて回りました。僕が音楽を聴くようになったきっかけはクラシック音楽だったのですが、CDを購入する際は、各作曲家の有名な楽章のみ抜粋しているものではなく、たとえば交響曲だったら第一楽章から最終楽章までちゃんと収録したものを選んでいました。僕は完全に素人なので音楽理論に基づいた評論ではなく印象のみで語ってしまいますが、クラシックの交響曲において別に最初から最後まで聴かなければならないことはありません。聴き通して初めて理解できるストーリー性はほぼ皆無と言っていいでしょう。だから、いちいち生真面目に全編収録されたCDを選ばずとも、有名どころのみで十分だし、そっちのほうが楽しめるとも思うのです。ですが、「それは邪道だ」という感覚は抜けることなく、ベートーヴェンだったら交響曲第5番「運命」の全楽章、チャイコフスキーだったらバレエ曲「くるみ割り人形」の全楽章が収録されているアルバムを買い求め、有名なメロディだけに耳を傾けるということはしませんでした。なので、学生時代に洋楽のコンピレーションアルバムを買ったにせよ、気に入ったアーティストを見つけたらその人のアルバムを買い直していたものです。

この映画からも、そんなコンピレーションアルバム的なにおいを感じてしまうのは僕だけではないでしょう。ただ、「NOWシリーズ」「MAXシリーズ」などと違うところは、コンピレーションアルバムを聴いて各俳優に興味を持ってその人が主演の映画を当たるというパターンとは逆に、もともとそれぞれの俳優のファンがこの映画を観てかつての名作のオマージュにニヤリとしたり、かつて映画絡みで因縁のあった共演者同士のやり取りを楽しむところだと思います。もちろん、彼らのことをまったく知らなくても面白いと思えますし、ちょっとした小ネタ(楽屋ネタ?)がわからなくてもストーリーに支障はきたしません。しかし、それでも「なんか邪道だな」という感想は否めません。本来であれば、名優一人ひとりのパフォーマンスをそれぞれが主演の作品でどっぷりと味わうべきなのに、アクションというコンセプトでいいとこ取りされてひとつの作品としてごたまぜになっているのが本作なのです。つまり、どのパートから観ても楽しめる、最後のチャプターから最初へと遡る形で鑑賞しても楽しめてしまうという、映画ファンにとって都合がいいのか悪いのかわからないハチャメチャぶりになってしまっている。僕がコンピレーションアルバムを買わなくなった理由はひとえに「邪道だから」ということです。2大スター共演とか奇跡のコラボとかの売り文句に流されないのはもちろん、やはり映画は知ってる俳優が何人出てくるかではなく、正統的にストーリーありきで楽しもうと思い直しました。


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