トワイライト 初恋

(2008年 / アメリカ)

ヴァンパイアと人間の越えてはいけない禁断の恋を描いたラブ・ストーリー。霧の町、ワシントン州フォークスに引っ越してきたベラ・スワンは、転入先の高校で不思議な雰囲気と完璧な容姿をもつエドワード・カレンと出会う。次第に惹かれ合うベラとエドワードだったが、エドワードには重大な秘密があった…。

血を捧げてこその禊

僕は生まれてこのかた30年以上、一度も鼻血を出したことがありません。鼻血が出る原因として、血圧上昇、衝突などによる外傷、チョコレートの食べ過ぎ、エロイこと考えてたから、などいろいろ言われていますが、小学校、中学校時代でよく遭遇した鼻血の原因ナンバーワンは、ケンカでした。病気や感染症が原因で鼻からの出血が止まらないというケースは見なかったと思います。高校になってから以降、友人や同僚が鼻血を出しているのを見ることは、かなり珍しいことになりました。だからかもしれませんが、少年期に鼻血を体験してなかった僕自身、何か大きな忘れ物をしてきたように思うのです。

なぜかといえば、鼻血を出すことが少年から大人へのステップとなる「禊」に思えてならないからです。おたふく風邪や風疹、はしかなど、いまでこそワクチンがありますけど、僕が小学生の頃はクラスで必ず罹患して1週間ほど休む生徒がいましたが、それとどこか重なる気がするのです。もちろん、こういった病気と違って、一度鼻血を出したからって免疫ができるわけではなく、状況が重なれば、いやなんなれば意図的に鼻血くらい出すことはできるでしょう。だけど、大事なのは、鼻血を出す過程と結果なのです。原因ではなく。

小学生にとって鼻血は恐ろしいほど重症です。完膚なきまでに叩きのめされた敗者の姿でもあります。サンドバック状態のボクサーがふらふらになり反撃の糸口すら見いだせない状態のように悲惨です。どんな原因にせよ、自分の血を他人に見せたら、それはもう敗北です。いや、敗北せずともかなり瀬戸際に置かれた状態です。少なくとも他人からはそう見られます。クラスは大騒ぎとなり、先生が青い顔して飛んできて保健室に担ぎ込んでくれますが、問題はその後。鼻血を出した彼はどんな顔でクラスに戻ってくるのか。敗北感に打ちひしがれた顔なのか、それとも何か吹っ切れて一皮むけたような顔なのか。

吸血鬼は人間の血を吸って仲間とします。血を吸われた人間は弱々しい人間であることを捨てて不死身の吸血鬼となります。ですが、このように吸血鬼になった元人間は、絶対的な弱者から絶対的な強者に生まれ変わったことにより成功者となったのでしょうか。「禊」を経ずして、少年期に自分の弱さをさらけ出すことなく大人になった僕のような人間が、突然転がり込んできた幸運により、いきなり食物連鎖の頂点に立ってそれで成功を味わえるのでしょうか。本来の成功とは、他の大多数と同じ土俵、同じ条件で競争して勝ち取るものではないでしょうか。そのための原資となるのが「自分自身の弱さを知っていること、瀬戸際から這い上がってきた経験」だと思うのです。

いまになって鼻血を出したところで、もうすでに大人になってしまった僕にとっては単なるアクシデントに過ぎません。そう考えてみると、これまで僕は少年期に体験しておくべきだった試練から顔を背け、できるだけ傷つかないよう逃げまわっていたことがよくわかります。荒波に晒されていない弱い心はいまでも弱いまま。この映画の主人公は女子高生の人間、その恋人は吸血鬼です。いま思えば、僕も高校生の頃に、吸血鬼に因縁付けられて半殺しにされ「お前の汚い血なんか吸う価値もない」と打ち捨てられ、激しい敗北感に苛まれる経験をしていれば、いまはもうちょっとマシな大人になっていたかもしれないなどと考えてしまいます。


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