ザスーラ
(2005年 / アメリカ)兄のウォルターと弟のダニーは、いつもケンカばかり。ある日ダニーは、ウォルターに閉じ込められた地下室で「ザスーラ」と書かれた古いボード・ゲームを見つける。ルールも読まずにゲームを始めてしまった瞬間、家の中に大量の隕石が突き抜けたかと思うと、宇宙空間へと飛び出してしまう。
フロンティアの存在が創造力を喚起する
いま私たちが住んでいるこの地球に、まだ誰も足を踏み入れていない辺境の地はどれほど残されているでしょうか。ここで言う辺境とは、ジャングルの奥地にある手付かずの自然だとか、深海で営まれる未知の生態系だとかのことではなく、純粋に現代社会で詳らかになっていない文明や文化が息づいている地域のことです。よく地球最後の秘境などと称されるギアナ高地にしても、そういうキャッチコピーが付く時点で観光地化している証左であり、またアマゾンやニューギニアの少数民族にしてもすでに文化人類学的な研究の対象にされていることを考えると、もはやこの地球は私たち人類によって調べ尽くされたと考えてよいのかもしれません。
人類が自らの住む地球の構成に興味を持ち、探求の旅に出ようと思ったのはいつ頃からでしょうか。はっきりとした時期を特定することなどできません。ですが、少なくとも家族が部族となり部族が国家という単位に移り変わっていく最中において発生していったことはわかります。自領を防衛する意識が芽生えてきて、それと同時に他国を侵略して領土を拡大するという征服欲も生まれてきました。相手国から土地だけでなく金品や奴隷、美女を奪うだけでなく、自国にはない産業や貿易品を手にすることで国力拡大を図ってきたわけです。そういった意味では、どの国家(部族)も他国の動向には敏感であり、スパイを送ったり貿易商を通したりして、つねに情報収集に励んでいたのでしょう。いつかその国を乗っ取って、いかに自国を強盛にすることができるかを考えながら。
その征服欲が顕著になったのが大航海時代以降ではないでしょうか。マルコ・ポーロの「東方見聞録」によりオリエントへの好奇心を掻き立てられたことがきっかけとなり、イベリア半島からイスラム教徒を駆逐(レコンキスタ)したスペイン・ポルトガルの商人は外洋を目指します。ポルトガルのエンリケ航海王子が西アフリカでの金・奴隷貿易の端緒を開くと、バーソロミュー・ディアスが喜望峰到達、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓。香辛料やお茶などの嗜好品を求めてというのは都合のいい謳い文句で、その実、西洋人にとってのオリエント開拓は領土拡大・国力増強ならびに植民地へ自国製品を高く売りつけるボッタクリ商法の狩場確保のためでありました。ここから始まった帝国主義により勝手に引かれた国境線は、現在においても地域紛争の火種となっています。
世界地図に辺境(フロンティア)を見いだせなくなった人類が、次に求めた新天地はどこでしょうか。それは「宇宙」です。人類初の月面着陸、国際宇宙ステーションでの船外活動、火星へ人工衛星送出、未知なる天体の発見など、ニュースや新聞を見ていると日々こうした科学的ロマンに満ちた情報に接することができます。いまだ限られた人たちしか宇宙に出たことはなく、また学問としても高度な物理学を修める必要があるので、一般人にとって宇宙は文字通り手の届かない存在であり、そうだからこそ「夢の世界」という錯覚を抱くのです。たしかに、いまでこそ宇宙は可能性の詰まったワンダーランドなのですが、それはまだ開拓し尽されておらず未知の世界のままであるから言えるのであって、地球の世界地図のように白いところ(未確認地域)がなくなったとしたらそれはもう夢の世界とは言えなくなるでしょう。
もしそうなったら、この映画のような作品はもう生まれなくなるでしょう。人類未踏だからこそ豊かな創造力で描くことを許される、宇宙を舞台にした作品はもう生まれないでしょう。タイムワープなど科学的に不可能、地球外生命体は存在しない、太陽の光は充電式だったなどということが解明されてしまったら、人類は創造力の拠り所を失ってしまい、もしかしたら映画をはじめとする娯楽や芸術はなくなってしまうかもしれません。現在、宇宙の科学的分析に勤しんでいる研究員や、宇宙の神秘を生で伝えてくれる宇宙飛行士の努力を否定するつもりはまったくありませんが、人類のフロンティアスピリット維持、また無益なシマ争いを避けるため、宇宙はいつまでも謎のままでいてほしいというのが僕の意見です。